2011年06月06日

146. 名所江戸百景77 王子瀧の川

名所江戸百景シリーズの第77弾、今回は、王子瀧の川である。

王子瀧の川.jpg

この絵は、滝野川(石神井川)の上流側から、岩屋弁天、金剛寺、弁天滝、松橋と、美しい紅葉を俯瞰したものである。

この辺りは滝野川松橋と言い、治承4年(1180年)、源頼朝が石橋山の戦いに敗れ房総に逃れた後、上総広常と千葉常胤の支持を受け房総半島を北上、武蔵国に入ると、葛西清重、足立遠元に加え、一度は敵対した畠山重忠、河越重頼、江戸重長らも従え、かつて父義朝と兄義平の住んだ鎌倉へ入らんと陣を張った場所と言う。

このように、坂東(関東)の各豪族が、頼朝の挙兵に参じたのは、父 義朝の時代の縁故の為だ。

義朝は京で生まれたが、幼少の頃に東国に下向し、上総介氏等の庇護を受け同地で成長、父・為義が安房の丸御厨を伝領していたことからその地に移住し、その後安西氏、三浦氏、上総介氏の連携の下に義朝は安房から上総に移り上総介家の後見を受けるようになった。その後、勢力を伸ばし、坂東の有力な在地豪族を傘下に収める。

安政5年(1858年)の地図

王子不動之滝.JPG

石神井川沿いに、岩屋弁天、金剛寺が見える。

現在の地図


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そこでの写真

cameraroll-1307162081.436306.jpeg王子瀧の川.jpg

右上に屋根が少し見えているのが金剛寺、石神井川が、両岸が高く切り立っていたことが伺える。

ところで、お気付きだろうか? 石神井川は水が綺麗だ。

以上
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2011年06月05日

145. 名所江戸百景76 王子不動之滝

名所江戸百景シリーズの第76弾、今回は、王子不動之滝である。

王子不動之滝.jpg

この絵は、滝が多く滝野川と呼ばれた石神井川の不動滝を描いたものである。江戸の郊外に位置する王子、夏、ここに涼みに来る人が多かったのだろう、滝浴みをする人、御茶を出す人などが見える。それにしても華厳の滝並みの迫力ある滝だ。

室町時代、大和国に学仙坊という不動尊の祈祷を修行する僧侶が、霊夢を見て東国の滝野川の地を訪れ、庵をむすんで正受院を草創した。この年の秋、石神井川が増水したが、水の引いた川から不動の霊像をすくいあげた。学仙坊は、これを不動尊修法の感得した証と喜び、滝の傍に安置した。この滝が不動の滝と呼ばれる由縁である。

安政5年(1858年)の地図

王子不動之滝.JPG

江戸も王子の辺りになるとかなりの郊外だった為、地図もいい加減である。かろうじて、ランドマークは拾える。飛鳥山、王子権現(神社)、金剛寺が見える。

現在の地図


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金剛寺の脇にある紅葉橋から石神井川北岸を石神井川沿いに東に向かい王子神社に続いている道は、古地図にも見える。この道は江戸からある古道であろう。

赤ポイントが不動滝推定位置、正受院の裏手、石神井川南岸にあった。広重は、対岸となる北岸に立ち、描いたものと思われる。

そこでの写真

cameraroll-1307162084.383236.jpeg王子不動之滝.jpg

滝は勿論無い。コンクリート護岸で味も素気も無い。が、崖の感じは伺える。

以上
posted by Yogi at 09:26| 東京 🌁| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月04日

144. 名所江戸百景75 品川すさき

名所江戸百景シリーズの第75弾、今回は、品川すさきである。

品川すさき.jpg

目黒川が運んだ砂が堆積して出来た洲、形状が岬状になっているので『洲崎』。この絵は、その洲崎に立つ弁天を陸地側の高台から俯瞰したものである。

ここ品川は、古くから港として栄えた。律令時代には武蔵国の国府津だったという説もある。品川は、大国魂神社と品川道で接続されている。

画面左下に見える料亭風の建物は、土蔵相模と言われた相模屋と言われている。品川宿で最も有名な飯売旅籠屋だった相模屋。外壁が土蔵のような海鼠壁だったので土蔵相模と呼ばれた。

文久2年(1862年)、品川御殿山のイギリス公使館焼き討ち事件の首謀者、高杉晋作や久坂玄瑞らが謀議をこらしたもこの相模屋、桜田門外の変でも、当日、浪士たちが出発した旅籠屋だ。

安政5年(1858年)の地図

品川すさき.JPG

東海道が南北に走っていて、目黒川の河口に洲崎があり、先端に弁天がある。

現在の地図


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ブルーラインが目黒川の跡、その右側の黒いラインが洲(猟師町)跡である。この右側は海だった。洲崎弁天、現在の利田神社と土蔵相模跡に赤ポイントを立てた。グリーンは広重の推定立ち位置と視線である。

そこでの写真

cameraroll-1307111256.992032.jpeg品川すさき.jpg

広重推定立ち位置に立つとビルで全く洲崎弁天が見えない。そこで、神社手前の交番辺りから撮った。残念な風景となってしまっている。

最後に、土蔵相模跡

cameraroll-1307111261.182998.jpeg

以上
posted by Yogi at 22:40| 東京 ☀| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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