2011年06月04日

144. 名所江戸百景75 品川すさき

名所江戸百景シリーズの第75弾、今回は、品川すさきである。

品川すさき.jpg

目黒川が運んだ砂が堆積して出来た洲、形状が岬状になっているので『洲崎』。この絵は、その洲崎に立つ弁天を陸地側の高台から俯瞰したものである。

ここ品川は、古くから港として栄えた。律令時代には武蔵国の国府津だったという説もある。品川は、大国魂神社と品川道で接続されている。

画面左下に見える料亭風の建物は、土蔵相模と言われた相模屋と言われている。品川宿で最も有名な飯売旅籠屋だった相模屋。外壁が土蔵のような海鼠壁だったので土蔵相模と呼ばれた。

文久2年(1862年)、品川御殿山のイギリス公使館焼き討ち事件の首謀者、高杉晋作や久坂玄瑞らが謀議をこらしたもこの相模屋、桜田門外の変でも、当日、浪士たちが出発した旅籠屋だ。

安政5年(1858年)の地図

品川すさき.JPG

東海道が南北に走っていて、目黒川の河口に洲崎があり、先端に弁天がある。

現在の地図


より大きな地図で 品川すさき を表示

ブルーラインが目黒川の跡、その右側の黒いラインが洲(猟師町)跡である。この右側は海だった。洲崎弁天、現在の利田神社と土蔵相模跡に赤ポイントを立てた。グリーンは広重の推定立ち位置と視線である。

そこでの写真

cameraroll-1307111256.992032.jpeg品川すさき.jpg

広重推定立ち位置に立つとビルで全く洲崎弁天が見えない。そこで、神社手前の交番辺りから撮った。残念な風景となってしまっている。

最後に、土蔵相模跡

cameraroll-1307111261.182998.jpeg

以上
posted by Yogi at 22:40| 東京 ☀| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

143. 名所江戸百景74 南品川鮫洲海岸

名所江戸百景シリーズの第75弾、今回は、南品川鮫洲海岸である。

南品川鮫洲海岸.jpg

画面右上に筑波山と、その左には日光連山が見える。この絵は、鮫洲海岸沖合から、筑波山、日光連山といった北方の山並、海岸沿いに走る東海道と、第一の宿場、品川宿、品川浦での海苔の養殖の様子を鳥瞰したものである。

1251年、品川の漁師の網に掛かった鮫の腹を割いたところ、木造の観音像が出て来たという。この観音像をご本尊に開かれた寺が海晏寺である。いつしか、門前の地を鮫洲と呼ぶようになった。

明治13年(1880年)の地図

南品川鮫洲海岸.JPG

ここ鮫洲は江戸切絵図から外れている。だから明治13年の地図。

真ん中を南北に走っている道が東海道、その東側は海、品川浦である。真ん中に海雲寺と海晏寺が見える。この辺りが鮫洲海岸だ。

現在の地図


より大きな地図で 南品川鮫洲海岸 を表示

東海道も残っているし池上通も残っている。海雲寺と海晏寺もそのままだ。

そこでの写真

cameraroll-1307111270.946619.jpeg南品川鮫洲海岸.jpg

広重の推定立ち位置に立てたとしても、鳥瞰は出来ない。なので、東海道を撮った。このすぐ右側が海岸だった。

海晏寺

cameraroll-1307111274.911325.jpeg

参道はR15によって分断されている。

以上
posted by Yogi at 23:41| 東京 ☀| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

142. 名所江戸百景73 水道橋駿河台

名所江戸百景シリーズの第73弾、今回は、水道橋駿河台である。

水道橋駿河台.jpg

この絵は、本郷台地の上から、神田川に架かる水道橋越しに、駿河台の町を俯瞰したものである。
手前には鯉のぼりのドアップ、広重お得意の構図であるが、鯉が、非常にダイナミックに、まるで生きているかのように描かれていて迫力がある。

鯉のぼりは、五月の初めの午の日、端午の節句に行われる、奈良時代から続く古い行事だ。奈良・平安時代の端午の日は、災厄を避けるための行事が行われる重要な日だった。宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたりした。鎌倉時代には、武家の間から菖蒲と尚武をかけてこの日を大切にする気風が生れた。江戸時代には、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べ、世継が生れると、城中にたくさんの幟や作り物の遣り、長刀、兜などを立てて盛大にこれを祝った。

江戸中期になると庶民の間から鯉のぼりが生れた。幟を立てられない庶民は、中国に古くから伝わる登竜門の伝説になぞらえ、竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込め、鯉を掲げたのである。よく見ると、鯉のぼりの向こう側、駿河台の武家町には鯉のぼりは無く幟が立っているのが見える。

さて、駿河台の地名だが、家康江戸入府に伴って連れてきた駿河の国の役人を住まわせたことに由来する。

安政5年(1858年)の地図

水道橋駿河台.JPG

松平駿河守の上屋敷を始め、ずらりと武家屋敷が並んでいる。

現在の地図


より大きな地図で 水道橋駿河台 を表示

神田川はそのまま残っている。水戸殿は後楽園になっている。後楽園の東の道、本郷通りを始め、道もほぼそのまま残っているのが分かる。

そこでの写真

cameraroll-1306400634.350793.jpeg水道橋駿河台.jpg

ビルが邪魔で駿河台の町並みは見渡せないし、富士山も見えない。

以上
posted by Yogi at 09:18| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。