2010年05月23日

22.古代東海道の地図


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鐘ヶ淵から小岩まで、ほぼ真っすぐに東西に延びていることが分かると思う。ある意味、この「まっすぐ」が、古代官道の「証拠」でもある。
現在の府中にあったとされている武蔵の国の国府から、下総の国の国府、現在の国府台に向かう道である。小岩で江戸川を渡り、国府台に至った。

明治初期の地図で表すとこうなる。

古代東海道.JPG

以上
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2010年05月16日

20.行徳塩の道の地図

徳川家康が行徳を幕府直属の天領とし、「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」といって、塩業を保護、奨励したため、寛永9年(1632年)に塩を運ぶための水路、小名木川、新川が整備され、途中江戸川、中川、隅田川を通り江戸城内と本行徳は、直接船で結ばれることになった。

本行徳村は、この航路の独占権を得て、船着場が作られ、「行徳船」「長渡船」が就航するようになり、塩だけでなく、人や物資の運搬も盛んになった。行徳船を利用した著名人も多く、芭蕉、十返舎一九、一茶、渡辺華山、大原幽学などの記録がある。また、文化・文政のころからは、江戸で成田山詣でが流行し、行徳は船場、宿場として活況を呈した。日本橋小網町と下総行徳村を結んだこの船便は、明治に入ると蒸気船が登場し、水上交通は新しい時代を迎えた。

当時を偲ぶものとして、かつての船着場付近に常夜灯が残っている。

現代の地図


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明治初期の地図ではこうなる。

WS000004.JPG

以上
posted by Yogi at 23:04| Comment(0) | 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

14.岩槻道の地図


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上今井村、現在の西瑞江から河原道渡し場道標の辺りまでは、江戸時代初期に徳川幕府が築いた江戸川の堤、それが篠崎街道となった。河原道渡し場道標から先は、戦国時代に行徳の河原から岩槻に塩を運ぶ為の道、岩槻道である。ばんどう道とも言う。江戸時代は、一里塚から南を河原道と云った。

明治初期の地図を重ねるとこうなる。

WS000001.JPG

少しずらして、河原道渡し場道標、河原村、塩田が全て映るようにした地図はこれ。

WS000003.JPG

道標の少し右下に河原村、更に右下に目を転ずると、水田の先に塩濱や塩田の表記がある。

以上
posted by Yogi at 12:52| Comment(0) | 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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