2010年07月04日

33.行徳の地図


より大きな地図で 行徳 を表示

明治初期の地図に重ねるとこうなる。

行徳.JPG

行徳は塩の産地だった為、徳川に保護され、経済が発展し、大いに賑わったということが、現場に行くと非常によく分かる。

寺や神社が多いということは、寄付で成り立つものなので、それだけ寄付が集まった、つまり、人が多く経済的にも発展していたことを表している。

地図を見るとそれが良く分かる。

これは、上記明治初期の地図から、走行軌跡と史跡ピンをはずしたものだ。

行徳2.JPG

江戸川の南岸地域が行徳、相之川から河原まで集落が集まり賑わっていたことを想像させる。一方、周りは水田だらけ。当時は、人がいるところにしか人はいないというか、今はどこにでも満遍なく人がいるが、当時は人がいるところは決まっていたのだとつくづく感じる。でもこれは都市に住む人の感覚かもしれない。田舎に行けば、人がいない地域はたくさんあるだろう。

江戸川の北側に、上今井村、下鎌田村、上鎌田村、前野村と、ポツポツと集落があるが、行徳の比ではない。行徳は後ろに海=塩を控えていた、その差が出ている。

当時の中心地、行徳神明神社をズームupしてみてみよう。

行徳3.JPG

真ん中に、神明社、自性院、大徳寺の文字が見える。南北に抜けているのが行徳街道、神明社のT字路で交差しているのが成田道だ。

神明社から北に目を向けると、稲荷社、正源寺、胡録社、養福院の文字が見える。成田道に目を転ずれば、妙頂寺、徳願寺、法善寺、清寿寺、春日社、妙好寺の文字が見える。今回巡った寺社たちだ。

徳願寺の脇を水色の線が走っているがこれが内匠掘。少し分かりづらいが、妙覚寺の「寺」の直ぐ左を走っている点線が権現道となる。

明治初期という昔の地図に載っているものが今もまだあり、訪れることが出来るというのは非常に楽しいことだ。

以上
posted by Yogi at 10:31| Comment(0) | 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

28.堀江、猫実、当代島、新井の地図

GoogleMaps


より大きな地図で 堀江・猫実 を表示

明治初期

堀江、猫実.JPG

下の方にある集落が堀江と猫実だ。
周りは水田、海の方には塩田。水田の間を北上したところの集落が当代島。そのすぐ北の集落が新井村。

それにしても田んぼ、畑だらけ。

以上
posted by Yogi at 20:02| Comment(0) | 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

23.葛飾地域の主要道路

葛飾旧道.JPG

古代官道、岩槻道、行徳道、元佐倉道、佐倉道を、明治初期の地図に重ねてみた。

こうして見ると、幾つかのテーマが浮かび上がる。

平安の時代、武蔵の国の国府から下総の国の国府に向かう古代官道、これは、両国府を最短距離で結んだ結果、この道となっている。

葛飾という地域は、江戸川を挟んで西側を葛西、東側を葛東と呼んでいたが、葛西地域では、最短距離で結んだ結果、小岩がGatewayになっている。

江戸時代の初期、徳川としては、ついこの間まで戦っていた大名に油断を見せられない。だから、江戸への流入口を幾つも幾つも設けるわけにはいかない。しかし、全く無にもできない。それを、平安の時代からGatewayとして存在していた小岩に設定したのだろう。佐倉道、元佐倉道も、小岩を通る道筋となっている。

1つ目のテーマは、葛西の玄関口、小岩、そして、葛東の玄関口、市川である。

戦国時代、葛飾地域を納めていた北条氏は、行徳の年貢を塩としていた。行徳の塩は、岩槻道を通って岩槻に運ばれていた。

江戸時代に入り、徳川も行徳の塩を大切にし、行徳道、新川、小名木川を作る。

2つ目のテーマは、行徳である。

徳川の時代の後半、当時の最先端レジャーだった、成田山、千葉寺参詣の為に、行徳から船橋に抜ける成田道が作られている。この道は関所も無く、庶民が自由に行き来できた為、又、船での旅ということもあり、良く利用された。

テーマ1の小岩・市川の時代はとにかく小岩からしか外へも中へも行けないように苦心していたのに、同じ徳川時代でも、その時代から長く月日が経っていること、その月日は平和だったということを、象徴的に、この行徳からの成田道は表している。面白い。

3つ目は神社だ。葛西御厨であったことを現し、天祖神社が多い。次に多いのが香取神社、その次が白髭神社だ。天祖神社と香取神社、白髭神社をmappingして、俯瞰してみてみたい。

4つ目は鷹狩り、御膳所だ。これもmappingして俯瞰で見てみたいと思う。

5つ目は、水である。川、堀、用水。東・中・西井堀を紹介済みだが、その支流はまだだ。地図を見ると、支流はたくさんありそうである。

6つ目は絵、広重、江戸名所図会等で描かれた地を見て回りたい。

7つ目は村、集落だ。明治初期の地図を見るとよく分かる。江戸川区は、ほとんどが田んぼだった。が、所々に集落があり、村になっている。そこが今はどうなっているのか、尋ねてみたい。

堀、道を通して、幾つかのテーマが浮かび上がった。次回以降は、こうしたテーマに沿って、掘り下げていこうと思う。

以上
posted by Yogi at 12:08| Comment(0) | 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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