2011年05月28日

142. 名所江戸百景73 水道橋駿河台

名所江戸百景シリーズの第73弾、今回は、水道橋駿河台である。

水道橋駿河台.jpg

この絵は、本郷台地の上から、神田川に架かる水道橋越しに、駿河台の町を俯瞰したものである。
手前には鯉のぼりのドアップ、広重お得意の構図であるが、鯉が、非常にダイナミックに、まるで生きているかのように描かれていて迫力がある。

鯉のぼりは、五月の初めの午の日、端午の節句に行われる、奈良時代から続く古い行事だ。奈良・平安時代の端午の日は、災厄を避けるための行事が行われる重要な日だった。宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたりした。鎌倉時代には、武家の間から菖蒲と尚武をかけてこの日を大切にする気風が生れた。江戸時代には、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べ、世継が生れると、城中にたくさんの幟や作り物の遣り、長刀、兜などを立てて盛大にこれを祝った。

江戸中期になると庶民の間から鯉のぼりが生れた。幟を立てられない庶民は、中国に古くから伝わる登竜門の伝説になぞらえ、竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込め、鯉を掲げたのである。よく見ると、鯉のぼりの向こう側、駿河台の武家町には鯉のぼりは無く幟が立っているのが見える。

さて、駿河台の地名だが、家康江戸入府に伴って連れてきた駿河の国の役人を住まわせたことに由来する。

安政5年(1858年)の地図

水道橋駿河台.JPG

松平駿河守の上屋敷を始め、ずらりと武家屋敷が並んでいる。

現在の地図


より大きな地図で 水道橋駿河台 を表示

神田川はそのまま残っている。水戸殿は後楽園になっている。後楽園の東の道、本郷通りを始め、道もほぼそのまま残っているのが分かる。

そこでの写真

cameraroll-1306400634.350793.jpeg水道橋駿河台.jpg

ビルが邪魔で駿河台の町並みは見渡せないし、富士山も見えない。

以上
posted by Yogi at 09:18| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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