2011年01月23日

90. 名所江戸百景21 両ごく回向院元柳橋

名所江戸百景シリーズの第二十一弾、今回は、両ごく回向院元柳橋である。

両ごく回向院元柳橋.jpg

手前に勧進相撲の開幕を知らせる幟を掛ける櫓、その奥に隅田川、隅田川の向こう岸には薬研掘に掛る元柳橋、更にその奥、遠景には富士山。色のグラデーションも見事な絵だ。

さて、この回向院、由緒だが、明暦3年(1657年)開山の浄土宗寺院。この年、江戸で「振袖火事」こと明暦の大火があり、その時の無縁の被災者を弔う為に、将軍家綱の命により開山された。

又、回向院と言えば相撲だ。勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768年)、天保四年(1833年)より春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間続いていた。

安政5年(1858年)の地図を見てみる。

両ごく回向院元柳橋.JPG

現在の地図。さて、回向院、現在の正門は、京葉道路沿い、赤いポイントである。


より大きな地図で 両ごく回向院元柳橋 を表示

正門は、両国橋から真っ直ぐそのまま繋がる道にあった。現在地図の青いポイントの位置である。

同じく広重の東都名所から両国回向院境内全図を見てみる。

両国回向院境内全図.JPG

櫓は正門の直ぐ近く、南側にある。

再び安政5年(1858年)の地図を見て欲しい。両国橋の左上に『柳バシ』の文字が見えると思う。これは神田川に掛る、今もある柳橋である。そのまますーっと南に視点を動かして欲しい。堀が見えると思う。これが薬研堀だ。橋も見えるだろう。これが元柳橋である。広重は、櫓越しにこの元柳橋を視界に入れていた。

現在地図で確認する。緑のポイントが櫓推定地点、黄色ポイントが元柳橋推定地点、赤いラインが広重推定視点である。

それになぞって撮った写真

cameraroll-1301196468.355331.jpeg両ごく回向院元柳橋.jpg

今は全く面影が無い。

ここ回向院は、江戸名所図会にも描かれている。

回向院.gif

櫓が無いのが分かるだろう。

回向院で勧進相撲が開かれるようになったのは1833年からだ。江戸名所図会は1836年に最終版が刊行されたが、着手は1798年以前、だからその頃は相撲が開かれていなかったのだろう。

以上
posted by Yogi at 11:24| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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