2010年12月26日

72. 名所江戸百景A 深川州崎十万坪

江戸名所百景シリーズ第二弾、第一弾の深川元八まんの近く、深川州崎十万坪である。

広重_深川州崎十万坪.jpg

この絵はどの地点のどこからの視点で描かれたのか、分かっていない。そこで推定することにする。手掛かりになるのは、

@地名の深川洲崎
A手前が海
B奥に筑波山
C江戸名所図会は江戸名所百景と重なる場所が多い。

で、ある。

Cについて、確認すると、しっかりあった。

江戸名所図会_州崎弁天社.gif

と、いうことで、やはり、洲崎神社の辺りなのであろう。

安政5年(1858年)の地図を見たら十万坪がどこだか分かった。

深川州崎十万坪.JPG

地図の真ん中、一橋殿とある右に十万坪の記載が確認できる。西が大横川、北が小名木川、東が横十間川、南が仙台掘川に囲まれた地区が十万坪のようである。

さて、現在の地図で江戸名所百景の視点と江戸名所図会図中の構図を推定してみる。


より大きな地図で 深川州崎十万坪 を表示

グレーの線が広重の視点と思われる。洲崎神社の上を右斜めに走っているが、その先は筑波山である。でも、広重の絵は、鷹の視点で描かれている。洲崎沖の上空からだ。洲崎神社が描かれていてもよさそうだが、描かれていない。なので、もう少し東側かもしれない。
洲崎神社下のブルーの線は、江戸名所図会、江戸名所百景両方共、構図手前に描かれている海岸線。
洲崎神社上のブルーラインは、江戸名所図会図中左上に描かれている大横川、赤い線は同じく左やや上に絵がれている橋である。

写真1: 洲崎神社

IMG_0175.JPG

由緒だが、徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院が守り神として崇敬していた厳島神社の分霊祭神市杵島比売命を、元禄13年(1700年)に、江戸城中紅葉山よりこの地に環したのが起こり。

寛政3年(1791年)9月4日にこの地を襲った高潮により、幕府はこの辺りの土地を買い上げ、付近に住むことを禁じた。その際、東と西に波除碑を建てた。その東側の碑がここの境内に残っている。

写真2: 洲崎神社 波除碑

IMG_0176.JPG

因みにこの波除碑、江戸名所図会の図中左やや下にしっかりと描かれている。

以上
posted by Yogi at 13:09| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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