2010年07月31日

43.佐倉道(鬼越〜中山)

前回の続き。

東昌寺を過ぎ、真間川を渡り、市川鬼越郵便局を過ぎて直ぐのところを左に折れる。暫く行くと左手に神明寺がある。

写真1:神明寺

神明寺.JPG

真言宗豊山派、本尊は不動明王、寺宝は元和二年(1616年)作阿弥陀如来、鬼越山と号し、元和二年(1616年)日意の開基。

そのまま進み京成本線の踏切を渡ると鬼越神明社がある。

写真2:鬼越神明社

鬼越神明社.JPG

古老の口碑によれば約七百年前より鬼高村に鎮座ましました。境内には元和二年(1616年)伊勢の皇太神宮より遷座されたとの石碑がある。現在の社殿は明治年間の造営である。境内には道祖神(耳の神様)、天神様(学問の神様)、お諏訪様(商売の神様)、与力与直(鎮世)、浅間神社(冨士信仰)があるが、これは大正年間の区画整理のため、村内に散在した神社をお遷したものである。

佐倉道に戻り進むと、常開寺がある。

写真3:常開寺

常開寺.JPG

日蓮宗 法華経寺末、塚原山(ちょうげんさん)と号し、応安七年(1374)法華経寺三世日祐上人の開基。本尊は、釈迦如来と多宝如来。

暫く進むと木下街道。佐倉道と木下街道のT字路には古い民家が。
ここ木下街道は、銚子で水揚げされた魚を行徳を経由して江戸に運ぶ為の道。利根川の木下河岸へ続く道の為、木下街道。かつては銚子道と呼ばれていた。

木下街道に入ってすぐの左手に高石神社がある。

写真4:高石神社

高石神社.JPG

社伝に、南総大多木城主正木内膳亮時総が故あって奇石を得、これを祭ったので高石神と称したとある。また往古、鬼越村と一村であったが、分村して神号を村名としたという。本社の創建年代は不詳であるが、「中山法華経寺文書」永享三年(1431年)十二月二十四日の条と「折伏正義抄」永享十年(1438年)の条に当社の記載あり、その創建はこれ以前である事は分明である。

高石神社は江戸名所図会にも描かれている。

江戸名所図会_高石明神社.jpg

京成本線を渡ってすぐを右に入る。この旧道を進むと泰福寺がある。

写真5:泰福寺

泰福寺.JPG

更に進むと安房神社がある。

写真6:安房神社

安房神社.JPG

御祭神 國常立命、里見安房守、大宮大権現、山王大権現。御沿革 本社は江戸時代の諸書に「安房の須明神」または「安房の須祠」として記載されている。なかでも江戸名所図会には「安房須明神社」として[中山の北、池田というより北の岡にあり]と書かれ、挿絵を載せている。はじめに祀られた場所は中山村中山字砂原(現在の中山小学校敷地内)で、明治四十二年一月十二日、同敷地内にあった妙見社境内(御祭神、國常立命)に移され、妙見社を合祀しました。さらに大正四年政令によって大宮大権現(中山四丁目・旧中山五〇三番地)、山王大権現(中山三丁目・旧中山三六九番地)を合祀して現在地に建立された。

千葉県神社名鑑には「創建等不詳だが、[快元憎都記]天文六年の条に当社のことを記述す。」とあるので天文六年(1537年)以前の創建といえる。

江戸名所図会には、安房須明神社 同所中山の北池田といふより北の岡にあり。伝へ云ふ、里見越前守忠弘の息男里見長九郎弘次の墓なりといへり。今淡島明神とす。(今猶塚の形を在せり。)

ここから先は中山法華経寺。写真が多いので今日はここまで。

posted by Yogi at 18:38| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。