2010年05月23日

23.葛飾地域の主要道路

葛飾旧道.JPG

古代官道、岩槻道、行徳道、元佐倉道、佐倉道を、明治初期の地図に重ねてみた。

こうして見ると、幾つかのテーマが浮かび上がる。

平安の時代、武蔵の国の国府から下総の国の国府に向かう古代官道、これは、両国府を最短距離で結んだ結果、この道となっている。

葛飾という地域は、江戸川を挟んで西側を葛西、東側を葛東と呼んでいたが、葛西地域では、最短距離で結んだ結果、小岩がGatewayになっている。

江戸時代の初期、徳川としては、ついこの間まで戦っていた大名に油断を見せられない。だから、江戸への流入口を幾つも幾つも設けるわけにはいかない。しかし、全く無にもできない。それを、平安の時代からGatewayとして存在していた小岩に設定したのだろう。佐倉道、元佐倉道も、小岩を通る道筋となっている。

1つ目のテーマは、葛西の玄関口、小岩、そして、葛東の玄関口、市川である。

戦国時代、葛飾地域を納めていた北条氏は、行徳の年貢を塩としていた。行徳の塩は、岩槻道を通って岩槻に運ばれていた。

江戸時代に入り、徳川も行徳の塩を大切にし、行徳道、新川、小名木川を作る。

2つ目のテーマは、行徳である。

徳川の時代の後半、当時の最先端レジャーだった、成田山、千葉寺参詣の為に、行徳から船橋に抜ける成田道が作られている。この道は関所も無く、庶民が自由に行き来できた為、又、船での旅ということもあり、良く利用された。

テーマ1の小岩・市川の時代はとにかく小岩からしか外へも中へも行けないように苦心していたのに、同じ徳川時代でも、その時代から長く月日が経っていること、その月日は平和だったということを、象徴的に、この行徳からの成田道は表している。面白い。

3つ目は神社だ。葛西御厨であったことを現し、天祖神社が多い。次に多いのが香取神社、その次が白髭神社だ。天祖神社と香取神社、白髭神社をmappingして、俯瞰してみてみたい。

4つ目は鷹狩り、御膳所だ。これもmappingして俯瞰で見てみたいと思う。

5つ目は、水である。川、堀、用水。東・中・西井堀を紹介済みだが、その支流はまだだ。地図を見ると、支流はたくさんありそうである。

6つ目は絵、広重、江戸名所図会等で描かれた地を見て回りたい。

7つ目は村、集落だ。明治初期の地図を見るとよく分かる。江戸川区は、ほとんどが田んぼだった。が、所々に集落があり、村になっている。そこが今はどうなっているのか、尋ねてみたい。

堀、道を通して、幾つかのテーマが浮かび上がった。次回以降は、こうしたテーマに沿って、掘り下げていこうと思う。

以上
posted by Yogi at 12:08| Comment(0) | 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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