2010年04月29日

12.岩槻道(小岩〜篠崎)

元佐倉道を小岩から逆井の渡しに向かうと一里塚のあった一里塚交差点があり、そこで元佐倉道と交差しているのが篠崎街道だ。

一里塚交差点から南下すると、善養寺がある。

写真1: 善養寺

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善養寺は、室町時代の大永7年(1527年)山城醍醐山の頼燈法印が霊夢のお告げによって小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがはじまりと伝えられているが、永正6年(1509年)の柴屋軒宗長「東路のつと」に当寺の記事があることから寺の草創は寺伝よりもさかのぼると考えらる。慶安元年(1648年)、徳川家から寺領10石の御朱印を受けた名刹で、現在の本尊、地蔵菩薩は江戸時代の作。境内に不動堂があり、「小岩不動尊」ともよばれている。又、境内には「影向の松」と呼ばれる樹齢600年の見事な松がある。延享2年(1745年)に書かれた「星住山星精舎利記」には、当時すでに、境内七尋五丈の老松であったことが記されている。この松と並んで仁王門の左手には、名松「星降り松」があったが、正和15年に枯れ、今のは二代目である。文豪大町桂月の紀行文「東京遊行記」の一節に「-山門の右に鐘楼あり。その前に、一大老松の横にひろがる者あり。凡そ十間四方に及ぶ。支柱百を以って数ふべし。これを影向の松という。立てる星降りの松に、座れる影向の松を加えて、東京附近松の奇観は、この寺に尽きたり-」と。

更に南下すると、東小岩天祖神社がある。

写真2: 東小岩天祖神社

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この辺りも葛西御厨ということだ。

更に南下すると、浅間神社がある。

写真3: 浅間神社

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篠崎の浅間神社は木花開耶姫命を祀り、天慶元年(938年)5月15日の創建といわれる区内で最も古い、由緒ある神社である。明治7年(1874年)には郷社に昇格した。天慶3年(940年)、平将門の乱を鎮めるため平貞盛が将門降伏の祈願をこめ、金幣と弓矢を奉納したと伝えられている。文化文政の頃から江戸やその周辺からの参詣者が増加し、講社なども組織されるほどになった。境内は約4000坪あり、多くの樹木が繁り区の保護樹も多い。昔から「せんげん様の森」として親しまれてきた。昭和57年2月「浅間神社の社叢」として区の「天然記念物」に指定された。社宝として、村上天皇(御代946〜967年)の御守剣、後花園天皇(御代1428〜1464年)の連歌などが納められている。以降、明治から昭和にかけても熾仁親王の神額、三條内大臣藤原朝臣の神額、犬養元総理の額などが奉納されている。平成の世になった現在も、日本最大ののぼり祭りをはじめ、悠久の祭りを現在に伝え、篠崎の地を静かにおまもりしている。

更に南下すると、草薙神社がある。

写真3: 草薙神社

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元佐倉道の鷲神社はヤマトタケルの白鳥伝説に基づく神社。この草薙神社は草薙剣にまつわる神社。ヤマトタケル東征の際、相模の国で、国造に荒ぶる神がいて野中で火攻めに遭ってしまう。そこで叔母から貰った袋を開けたところ、火打石が入っていたので、草薙剣(天叢雲剣)で草を掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くしたそうだ。それで、そこが焼遣(やきづ=焼津)となったという。

更に南下するとポニーランド前の二股で都道450号と分岐するが、その脇のポニーランド厩舎の角に河原道道標がある。

写真4: 河原道道標

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江戸川は目の前、ここが河原への渡し場だったということだろう。

今日はここまで
posted by Yogi at 09:02| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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