2011年04月17日

133. 名所江戸百景64 王子音無川堰棣

名所江戸百景シリーズの第64弾、今回は、王子音無川堰棣である。

王子音無川堰棣.jpg

これもトリコロールカラーが美しい絵だ。流れる川は石神井川。この辺りでは音無川と呼ぶ。川の左岸の崖上に見えるのは王子神社である。

王子神社の御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命と事解之男命の五柱で、総称して王子大神と言う。紀州熊野三社権現の御子神さまの呼称。創建は不詳も、源八幡太郎義家の奥州征伐の折、社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていた。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えし、改めて若一王子宮と奉斉し、熊野にならって景観を整えた。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれている。

安政5年(1858年)の地図

王子音無川堰棣.JPG

真ん中に王子権現の文字が見える。その左には王子稲荷、右には飛鳥山。飛鳥山と王子権現の間を流れる川が音無川。音無川沿いには金剛寺も見える。

現在の地図


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赤ポイントで、王子稲荷、金剛寺、飛鳥山、王子神社。ブルーポイントは広重推定立ち位置、ブルーラインは推定視線。

そこでの写真

cameraroll-1302426383.788034.jpeg王子音無川堰棣.jpg

音無川は、昭和30年ごろの河川工事により流路が変更となったが、嘗ての河川跡に親水公園が設けられた。画面左上には王子神社があるのだが、桜の木で隠れて見えないものの、公園化のおかげで雰囲気は出ている。

最後に、江戸名所図会 音無川

音無川.jpg

王子権現社

王子権現社.jpg

王子権現祭礼

王子権現祭礼.jpg

以上
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132. 名所江戸百景63 飛鳥山北の眺望

名所江戸百景シリーズの第63弾、今回は、飛鳥山北の眺望である。

飛鳥山北の眺望.jpg

この絵は、タイトルの通り、飛鳥山から北を鳥瞰した絵で、筑波山が描かれている。

飛鳥山といえば桜。この地を桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗だ。約280年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、民衆の行楽の地とする為、飛鳥山を桜の名所にした。当時、桜の名所地では禁止されていた酒宴や仮装が容認されていた為、民衆は様々な趣向を凝らして楽しんだ。

安政5年(1858年)の地図

飛鳥山北の眺望.JPG

真ん中やや上に飛鳥山を配置した。花木が描かれ、当時から桜の名所であったことが伺える。
飛鳥山に至る道、これは今の本郷通りである。江戸時代は日光東照宮への御成道。その西の道はR17号中山道(白山通り)である。これらの道は江戸の時代からの古道であるのだ。

現在の地図・全体図、道がそのまま残っているのが分かる。


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広重視点


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ブルーポイントが広重推定立ち位置、ブルーラインは推定視線

そこでの写真

cameraroll-1302426395.341470.jpeg飛鳥山北の眺望.jpg

どうせ訪れるなら桜の季節にしたかった。それは叶ったが、広重のように鳥になってもっと高いところから撮りたいところだがそれは無理。飛鳥山の高台からの眺望は、桜の向こう側に少し感じられるか。露光が難しく真っ白になってしまったが。

ここ飛鳥山は流石に名所、その他もたくさん描かれている。

まずは広重、江戸自慢三十六興 飛鳥山投土器

江戸自慢三十六興 飛鳥山投土器.jpg

飛鳥山花見乃図

飛鳥山花見乃図.jpg

北斎 勝景雪月花 東都飛鳥の花

北斎 勝景雪月花 東都飛鳥の花.gif

北斎 飛鳥山

北斎 飛鳥山.gif

江戸名所図会 飛鳥山全図

飛鳥山全図.gif

飛鳥山その二

飛鳥山その二.gif

飛鳥山下

飛鳥山下.jpg

以上
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2011年04月11日

131. 名所江戸百景62 千駄木団子坂花屋敷

名所江戸百景シリーズの第62弾、今回は、千駄木団子坂花屋敷である。

千駄木団子坂花屋敷.jpg

とにかく、桜が素晴らしい。こんなところに花見に行きたいものだ。

画面上右に描かれている建物、これは『紫泉亭』と呼ばれる茶亭であり、嘉永5年(1852年)に、千駄木の植木屋宇平次という人物が開いた『千駄木花やしき』内に作られたもの。四季折々の花木が植えられ、江戸近郊ということもあり、大いに賑わったそうである。その建物に続く坂は団子坂、手前の池は、諸説あるようだが、紫泉亭の庭園に作られた庭であるとのこと。

安政5年の地図

千駄木団子坂花屋敷.JPG

画面真ん中に、『小笠原右京』の下屋敷が見える。その南には、根津神社が確認できる。小笠原下屋敷の西側に南北に走る道、これが現在の藪下通りである。根津神社の裏門に続いている。その藪下通りを北に向かうと、『世尊院』の文字が見える。その、藪下通りを挟んだ向かいに、『四季花屋敷』の文字が見える。それが紫泉亭である。又、そこを東西に走る道、これが団子坂である。四季花屋敷の団子坂を挟んだ北側に、『元根津 植木屋多シ ダン子坂』の文字が見える。

現在の地図


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ブルーポイントと黒線が四季花屋敷推定跡地、赤ポイントが広重推定立ち位置、赤ラインが推定視線。

そこでの写真

cameraroll-1302426374.968688.jpeg千駄木団子坂花屋敷.jpg

かろうじて、団子坂の雰囲気は残っている。が、江戸の頃の景色が素晴らし過ぎて、残念でならない。

最後に、広重の他の絵、本江戸土産 千駄木団子坂花屋敷

絵本江戸土産 千駄木団子坂花屋敷.jpg

以上
posted by Yogi at 07:34| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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