2011年02月24日

115. 名所江戸百景46 上野山した

名所江戸百景シリーズの第46弾、今回は、上野山したである。

上野山した.jpg

この絵は、上野寛永寺の門前にある、紫蘇飯屋の伊勢屋を中心に、五條天神、上野寛永寺の石垣、上野寛永寺に花見に出掛ける傘を差した御一行等、上野寛永寺の門前町の賑わいを描いたものである。

伊勢屋の中を覗くと、大きな平目がぶら下がっていたり、赤い身は鮭だろうか。二階には女性も見えて、大層賑やかな雰囲気が出ている。

五條天神は、景行天皇の時代(71年8月24日 - 130年12月24日)に日本武尊が東征の折に上野忍が岡を通った時、薬祖神二柱に御加護を受けたことを謝して、此の地に両神を祀ったことを縁起としている。御祭神は、大己貴命と少彦名命で、配祀として菅原道眞を祀っている。

だから、とてもとても古いわけだが、ここも日本武尊縁の地であったか。ここの近所で言えば、鳥越神社、大鳥神社、根津神社もそうである。名所江戸百景で言えば、吾嬬神社もそうだ。

東京都内の日本武尊縁の神社


より大きな地図で 大鳥神社、大鷲神社、鷲神社、草薙神社 を表示

こうやって俯瞰で見ると、大体東西に並んでいる。日本武尊伝説は色々とあるが、ここ関東だと、走水から房総に渡った際の弟橘姫入水の伝説、姫の着物の一部が漂着したという伝説だ。だからこの東西ラインはかつての海岸線の跡と重なるのではないか。

話がだいぶそれたが、上野山したの安政5年(1858年)の地図

上野山した.JPG

真ん中の『天神』が、五條天神である。『仁王門前丁』に、伊勢屋があったと思われる。仁王門前丁の脇を流れる川は忍川、架かる橋は真ん中が将軍が通る橋という『三橋』、今はもうない。

又、『火除地』の文字が見えるが、実は上野山したとはそこのことで、今で言うと丸井の前。だから広重が描いた五條天神の辺りは、上野山したと下谷広小路の間である。

現在の地図


より大きな地図で 上野山した を表示

『下谷広小路』の記事でも言ったが、この上野辺りは、本当によく当時の区画が残っている。
ブルー・ポイントが五條天神推定跡地、赤ポイントが広重の推定立ち位置、赤ラインは推定視線向きである。黒ライン囲みは上野寛永寺石垣推定跡地である。

そこでの写真

IMG_0413.JPG上野山した.jpg

現在の写真の白い建物は交番だが、そこが石垣の始まり部分である。雰囲気は出てるか。

最後に、江戸名所図会 東叡山黒門前 忍川 三橋

東叡山黒門前 忍川 三橋.jpg

山下

山下.gif

以上
posted by Yogi at 08:28| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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