2011年02月12日

111. 名所江戸百景42 下谷広小路

名所江戸百景シリーズ第42弾、今回は、下谷広小路である。

下谷広小路.jpg

手前の商家は松坂屋である。奥には三橋、寛永寺の石垣、上野の山が見える。

織田信長の家臣だった伊藤蘭丸祐道が、1611年(慶長16年)に、清須から名古屋に移り、名を源左衛門と改め、本町に店を構えて呉服小間物商の看板を掲げた。これが、松坂屋の前身の『いとう呉服店』の始まり。上野の松坂屋を買収していとう松坂屋と改め、江戸へ進出したのは1768年(明和5年)のこと。

ん? 『蘭丸』って、『江』で、豊川悦司演じる織田信長の世話係をしていたあの人?

安政5年(1858年)の地図

下谷広小路.JPG

下谷廣小路の文字が確認できる。そのすぐ右の区画、大門丁と書かれているところが松坂屋のあったところだ。

現在の地図


より大きな地図で 下谷広小路 を表示

赤いポイントが松坂屋、ブルー・ポイントが広重の推定立ち位置、黒いラインが広重の推定視線、ブルー・ラインが三橋の架かっていた忍川推定跡地。

今も、松坂屋の位置は変わらない。又、区画も殆ど変っていない。

そこでの写真

IMG_0418.JPG下谷広小路.jpg

なかなか雰囲気を残している。

以上
posted by Yogi at 12:52| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

110. 名所江戸百景41 神田明神曙之景

名所江戸百景シリーズの第41弾、今回は、神田明神曙之景である。

この絵は、神田明神の境内から、『曙』であるから、東を望んだ絵である。地平線は赤く染まっている。

神田明神曙之景.jpg

現在の地形図

神田明神曙之景 地形図.JPG

ちょっと分かりづらいかもしれないが、中央通り、蔵前橋通り、本郷通りの文字が見える辺りを探していただきたい。画面を東西に走っている黒い線は神田川である。その少し上にあるはずだ。中央通りの左側に都道452線のマークがある。その左に国会議事堂のようなマークがあると思うが、それが神田明神である。

この地形図を見て分かる通り、神田明神は本郷台地の東の端にある。東側は崖なのである。広重の絵でも高台から低地を望んでいる様子がよくうかがえる。

安政5年(1858年)の地図

筋違内八ツ小路.JPG

現在の地図


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赤いポイントが神田明神、黒いラインが広重の推定視線向き。

そこでの写真

cameraroll-1301051120.824637.jpeg神田明神曙之景.jpg

工事の車両が残念なので立ち位置を変えてもう一枚

cameraroll-1301051123.435902.jpeg神田明神曙之景.jpg

朝7時過ぎ、朝日が出て2時間弱、逆光で露光調整が難しかった。高台から低地を望んでいる雰囲気はよく出ている。

最後に、江戸名所図会

神田明神社.gif

以上
posted by Yogi at 11:21| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

109. 名所江戸百景40 昌平橋聖堂神田川

名所江戸百景シリーズの第40弾、今回は、昌平橋聖堂神田川である。

昌平橋聖堂神田川.jpg

昌平橋の上から聖堂を望んだ絵である。聖堂の練塀が、坂によって段々になっている様、練塀の白と神田川土手の緑、神田川のブルーのコントラストが美しい。

練塀と言えば神田練塀町を思い出す。就職したての頃、外回りのテリトリーが神田東部だった。まだ市場があった頃だ。練塀町で、昼飯に、一見入りづらい雰囲気のとんかつの店に入った。旨かった。店内を見渡すと大橋巨泉のサインがあった。

安政5年(1858年)の地図

筋違内八ツ小路.JPG

昌平橋、その左上に聖堂が確認できる。

現在の地図


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赤いポイントが湯島聖堂と昌平橋、黒いラインは広重の推定視線向き。

そこでの写真

IMG_0280.JPG昌平橋聖堂神田川.jpg

ちょうど、朝の通勤ラッシュの総武線が通ってくれた。奥に緑が見えるが、それが聖堂の山である。しかし、神田川沿いに立つビルで練塀は見えない。そこで、昌平橋を渡り昌平坂を聖堂方面へ。

そこでの写真

IMG_0281.JPG昌平橋聖堂神田川.jpg

2枚を頭の中で合成して楽しんでいただきたい。

以上
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108. 名所江戸百景39 筋違内八ツ小路

名所江戸百景シリーズの第39弾、今回は、筋違内八ツ小路である。

筋違内八ツ小路.jpg

この絵は、筋違橋御門前の広小路を、外堀(神田川)の内側から俯瞰したものである。手前に筋違橋御門の櫓の一部、真ん中に広場があり大名行列が描かれている。奥には昌平橋の冠木門、更に奥には神田神社が描かれている。

日本橋から北へ、三越の前の道をそのまま行くと、ここ、筋違内八ツ小路に到着する。そう、中山道が外堀神田川に合流する地点である。昌平橋、あるいは筋違橋を渡ると、上野に続く現在の中央通りがあるが、これは、将軍が上野寛永寺に参拝して日光東照宮に行った道で御成道だ。その他、大小8つの筋=道が合流しているところなので『筋違い』と呼ばれている。

大名行列が描かれている。筋違橋御門を過ぎ、青山下野、伊予岡部の屋敷の間の道に向かっているようだ。その間を行くと、神田橋御門に到着する。この一行は、神田橋御門に向かっているのか、はたまた、その途中の藩屋敷に向かっているのか。

安政5年(1858年)の地図

筋違内八ツ小路.JPG

筋違橋御門に南東から来ている大通りが中山道、このまま下ると日本橋に通じている。神田川を渡り真っ直ぐ北に伸びているのが御成街道。上野の山に通じている。

現在の地図


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赤いポイントが昌平橋と筋違橋(推定跡地)、黒い線で囲った部分が広小路推定跡地。
嘗ての広小路には神田郵便局などが建つ。

そこでの写真

cameraroll-1301051111.260679.jpeg筋違内八ツ小路.jpg

奥にかろうじて昌平橋を捉えた。ビルが建ちもうこれ以上は無理です。しかし、東京の朝はトラックが多い。

最後に、江戸名所図会

筋違八ツ小路.gif

以上
posted by Yogi at 10:28| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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