2011年02月19日

113. 名所江戸百景44 芝神明増上寺

名所江戸百景シリーズの第44弾、今回は、芝神明増上寺である。

芝神明増上寺.jpg

この絵は、東海道にある増上寺の参道入口付近から、増上寺の大門と芝神明宮を捕えたものである。

芝神明宮は、神明なので御祭神は、天照大御神と豊受大神。御鎮座は平安時代、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建された古社。鎌倉時代においては、源頼朝より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代においては、徳川幕府の篤い保護の下、社頭はにぎわい大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇敬を集めた。

安政5年(1858年)の地図

芝神明増上寺.JPG

地図ほぼ真ん中に『表門』として描かれているのが大門である。そのすぐ北に飯倉神明社、現在の芝大神宮がある。神明丁、濱松丁一、二丁メ、三丁メ、四丁メと書かれているのが東海道だ。

現在の地図


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現在の第一京浜はかつての東海道、北のブルー・ポイントが芝神明宮、西が大門。赤いポイントが広重の推定立ち位置、赤いラインが広重の推定視線向きである。

そこでの写真

IMG_0397.JPG芝神明増上寺.jpg

ビルで芝大神宮は全く見えない。が、その代わり、東京タワーと六本木ヒルズが大門の向こうに見えた。又、写真も雰囲気が出ている。

芝神明宮は名所だったらしくたくさん描かれている。

まずは広重

新撰江戸名所芝神明宮ノ図

新撰江戸名所芝神明宮ノ図.jpg

江戸自慢三十六興 芝神明生姜市

江戸自慢三十六興 芝神明生姜市.jpg

東都旧跡尽 芝神明宮由来

東都旧跡尽_芝神明宮由来.jpg

東都名所 芝神明増上寺全図

東都名所 芝神明増上寺全図.jpg

その他

英泉_東都名所尽 芝神明宮祭礼 生姜市之景

英泉_東都名所尽 芝神明宮祭礼 生姜市之景.jpg

北斎_正面祭礼図

北斎_正面祭礼図.jpg

最後に江戸名所図会

飯倉神明宮.gif

飯倉神明宮 其の二.gif

以上
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112. 名所江戸百景43 芝うらの風景

名所江戸百景シリーズの第43弾、今回は、芝うらの風景である。

芝うらの風景.jpg

この絵は、隅田川河口部から浜離宮周辺を俯瞰したものである。

浜離宮は、寛永年間(1624〜1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原だった。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得た。その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められた。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成した。

安政5年(1858年)の地図

芝うらの風景.JPG

地図右上、佃島が見えている。佃島から濱御殿方面を見やると、溝武所(武道学校)、松平安芸下屋敷、尾張殿、濱御殿と続く。又、濱御殿の向こうは建物が続いていない。だから、濱御殿を最奥に、これら4つの屋敷の石垣が連なって描かれているのだ。

現在の地図


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西の黒いラインはかつての海岸線、真ん中に浜離宮、その右の黒い線の囲みは尾張殿と松平安芸の下屋敷推定跡地である。これらの角、角を繋いだ隅田川河口部が広重の推定立ち位置、赤いポイント。

そこ(プルー・ポイント)での写真

cameraroll-1301312819.565482.jpeg芝うらの風景.jpg

真ん中の緑が浜離宮である。尾張殿、松平安芸の下屋敷は築地市場になっている。

以上
posted by Yogi at 13:27| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

111. 名所江戸百景42 下谷広小路

名所江戸百景シリーズ第42弾、今回は、下谷広小路である。

下谷広小路.jpg

手前の商家は松坂屋である。奥には三橋、寛永寺の石垣、上野の山が見える。

織田信長の家臣だった伊藤蘭丸祐道が、1611年(慶長16年)に、清須から名古屋に移り、名を源左衛門と改め、本町に店を構えて呉服小間物商の看板を掲げた。これが、松坂屋の前身の『いとう呉服店』の始まり。上野の松坂屋を買収していとう松坂屋と改め、江戸へ進出したのは1768年(明和5年)のこと。

ん? 『蘭丸』って、『江』で、豊川悦司演じる織田信長の世話係をしていたあの人?

安政5年(1858年)の地図

下谷広小路.JPG

下谷廣小路の文字が確認できる。そのすぐ右の区画、大門丁と書かれているところが松坂屋のあったところだ。

現在の地図


より大きな地図で 下谷広小路 を表示

赤いポイントが松坂屋、ブルー・ポイントが広重の推定立ち位置、黒いラインが広重の推定視線、ブルー・ラインが三橋の架かっていた忍川推定跡地。

今も、松坂屋の位置は変わらない。又、区画も殆ど変っていない。

そこでの写真

IMG_0418.JPG下谷広小路.jpg

なかなか雰囲気を残している。

以上
posted by Yogi at 12:52| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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