2011年01月22日

89. 名所江戸百景S 神田紺屋町

名所江戸百景シリーズの第二十弾、今回は、神田紺屋町である。

神田紺屋町.jpg

白地に広重ブルーが見事な絵だ。

この界隈は慶長年間(1596-1615年)、家康から軍功として関東一円の紺の買い付けを許されていた紺屋頭土屋五郎右衛門が支配していた町。町には五郎右衛門の配下の染物職人が多勢住んでおり、いつしか「紺屋町」と呼ばれるようになった。江戸を代表する藍染の浴衣と手ぬぐいの大半は紺屋町一帯の染物屋でそめられた。『場違い』という言葉は、ここ紺屋町以外で染められた染物のことを意味していたのがそもそもの語源と言う。

安政5年(1858年)の地図で場所を確認する。

神田紺屋町.JPG

画面真ん中、東西に堀がある。下の方が神田八丁堀、上は藍染川(と、思われる。)。画面やや左側、南北に走っている道が中山道だ。中山道と神田八丁堀が交差する所。その地点の右上、藍染川のすぐ南側に紺屋町一、二丁メ、三丁メという記載が見えると思う。ここが神田紺屋町だ。

神田紺屋町から神田八丁堀を渡ると直ぐに『時の鐘』がある。そのまま東に行くと、3丁先に『囚獄』という文字がある。ここは吉田松陰が安政の大獄で捕らわれ、最後の地となった伝馬町牢屋敷である。今は、十思公園。

これらを頭に入れ、現在の地図で、神田紺屋町を推定する。


より大きな地図で 神田紺屋町 を表示

地図を拡大して見ていただきたい。

南側のブルーの線が神田八丁堀跡、北側の黒いラインが、この台形の形から小ヤシキ跡と思われる。西の南北に走る大きな通りはR17、中山道で、古地図でも最も太い道だ。青いポイントは十思公園。と、いう位置関係からすると、赤いラインが紺屋町、西から一丁目、二丁目、三丁目と思われる。見ていただいてお分かりの通り、現在とは若干位置がずれる。

と、いう準備の上、現場に行ってみた。

写真1: 神田八丁堀跡、神田八丁堀跡と昭和通り交差点付近から北東方面を望む

IMG_0263.JPG

写真2: 神田八丁堀、昭和通りを渡った先の公園

IMG_0262.JPG

推定地点には、地名由来の説明碑があった。読みは正解だった。

写真3: 神田紺屋町 町名由来板

IMG_0261.JPG

さて、広重の絵では、遠く富士山が見える。よって視点の向きは南西、グリーンポイントに立ち、グリーンのラインの向きと思われる。その視点での写真。

写真4: 現在の『神田紺屋町』

IMG_0265.JPG神田紺屋町.jpg

藍染川は江戸名所図会にも描かれている。

藍染川.gif

以上
posted by Yogi at 10:01| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。