2011年01月03日

79. 名所江戸百景H 中川口

江戸名所百景シリーズの第九弾、今回は、中川口である。

中川口.jpg

手前から来ている流れが小名木川、庶民らしき客を乗せている船が二艘、小名木川から奥に向かっている。奥の川は船堀川、現在の新川。横に流れるは中川である。手前建物らしき物の屋根と人が二人歩いているのが見える。この建物は船番所である。

安政5年(1858年)の地図では、

中川口.JPG

小名木川の中川口北岸に御番所の文字が見える。

小名木川は、萬年橋のところで隅田川から流れ出ているが、隅田川の向こうは日本橋だ。日本橋から隅田川、小名木川を通って、船堀川を過ぎると江戸川に出て、行徳に出られる。行徳は塩の産地で、家康が江戸に入府後直ぐに天領にした。江戸川、船堀川、小名木川、隅田川、日本橋川と、塩を運ぶ道、ソルト・ロードだったのである。行徳の塩が衰退すると、この道は行徳から成田山新勝寺に行く観光ロードとなった。江戸名所百景が描かれたころは既にそうで、だから、船に乗っているのは庶民なのである。

現在の地図で示す。


より大きな地図で 中川口 を表示

広重の視点で、現在の様子。視点は低いが。

cameraroll-1301196518.415480.jpeg中川口.jpg

そう。奥に船堀川は見えない。荒川放水路によって埋め立てられている。新川は荒川放水路の向こうに残っている。写真真ん中に階段が見えるが、そこがかつての閘門で公園内に残されている。

又、画面左手には公園のようなものが見えるが、船番所跡であることをモチーフにした公園である。

ここ中川口も、江戸名所図絵に描かれている。

中川口

江戸名所図会_中川口.gif

これは小名木川の南岸から船番所、中川上流部を俯瞰した視点である。

中川釣鱚

江戸名所図会_中川釣鱚.gif

[キャプション]春鱚は三月の末より四月に入りて盛なり 春釣と云は寛文の頃南総伍大力の船頭仁兵衛をはしめとす 岩崎兵太夫といふ人是に継 いま岩崎流といふは則この人に始りて是より後春鱚を釣る事世に盛なりしと云 秋鱚は八月の末より九月なかはを節とす 然れとも十月に至り寒気にうつれは沖に出るか故川釣に幸なし 漁人海に産するを白鱚と呼川にあるを青鱚と唱ふ 又鱚に大小の差あり 当歳は腹白く五六寸なるを二歳とす 腹すこしく黄色を帯びて背通り黒みあり 七寸より八寸までを三歳と呼 腹黄色にして赤みを帯背の通り黒し 九寸以上を鼻曲と号く鱗あらし 尺に越ゆるを寒風と唱るよし漁人の説なり

ここ(もう少し下流、今の荒川放水路河口、葛西臨海公園の辺り)はキス釣りの名所だった。今でも釣れないことはないと思うが・・・

これで、富賀岡八幡間宮をスタートに、かつての海岸線沿いに西へ、萬年橋から小名木川沿いに東へ、江戸名所百景を巡る度は一段落ついた。この地域だけで9つの名所があったことになる。

又、江戸名所図会との重なりは100%であった。『ここを描こう』と、決めたのは広重ではなかったのであろう。何故なら、名所は既に名所であったはずだから。当然の帰結として江戸名所図絵と重なる。同じ構図で描くわけにはいかない。広重も苦労したことだろう。

以上
posted by Yogi at 20:50| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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