2011年01月02日

78. 名所江戸百景G 五百羅漢さゞゐ堂

江戸名所百景シリーズ第八弾、今回は、五百羅漢さゞゐ堂である。

五百羅漢さゞゐ堂.jpg

安政5年(1858年)の地図では、

五百羅漢さゝゑ堂.JPG

南に小名木川、北に竪川、西に横十間川が見える。

現在の地図では、


より大きな地図で 五百羅漢さゞゐ堂 を表示

猿江恩師公園は猿江御材木蔵跡に作ったことが分かる。明治通りは江戸の道をそのまま活かしていることも分かる。因みに竪川は首都高の下に今もちゃんとある。

そこでの写真

cameraroll-1301196442.297185.jpeg五百羅漢さゞゐ堂.jpg

現在も、同じ場所に同じ名前の寺が建つが、五百羅漢寺とは全く関係が無いようで、件の五百羅漢寺は現在目黒にある。

五百羅漢寺 跡碑

IMG_0198.JPG

しかし、この五百羅漢寺は、相当に大きな寺だったようである。

江戸名所図会では、

五百羅漢 三帀堂

江戸名所図会_五百羅漢三帀堂.jpg

正面本尊之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 正面本尊之図.gif

羅漢堂 護法神宮

江戸名所図会_五百羅漢寺 羅漢堂 護法神宮.gif

東羅漢堂東面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 東羅漢堂東面之図.gif

東羅漢堂西面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 東羅漢堂西面之図.gif

西羅漢堂西面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 西羅漢堂西面之図.gif

西羅漢堂東面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 西羅漢堂東面之図.gif

三帀堂は三階建てで、階段がらせん状だった為、サザエに似ているとのことからさゞゐ堂での名がついた。三階建てということだから眺めも良かった。北斎も描いている。

冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう

800px-Hokusai07_gohyaku_rakan.jpg

−−−−−

2011/1/3追記:

七福神巡りで現在地に移った五百羅漢寺に行ってきた。

写真3: 五百羅漢寺

R0010323.JPG

五百体を越える羅漢像は見事であった。像一つ一つに添えられた言葉達も。

以上
posted by Yogi at 12:18| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

77. 名所江戸百景F 小奈木川五本まつ

江戸名所百景シリーズの第七弾、今回は、萬年橋を小名木川沿いに東に進んだところ、小奈木川五本まつである。

小奈木川五本まつ.jpg

丹波綾部藩九鬼式部少輔下屋敷にあった、5本の松の内、4本は枯れてしまったが、残った1本を描いている。

安政5年(1858年)の地図を見てみよう。

小奈木川五本まつ.JPG

ほぼ真ん中、小名木川の北岸に、九鬼式部の文字が見える。ここにあったのだ。広重の視点では、松は小名木川の左岸から伸びている。つまり、西側からの視点だ。

現在の地図で見てみる。


より大きな地図で 小奈木川五本まつ を表示

青のポイントが五本松、青い線が安政5年(1858年)の地図を参考にした当時の区画、赤のポイントは、西から猿江稲荷、土井大炊、寺町、猿江御材木蔵。

ちょうど良いところに四つ目通りが通っている。そこの橋の上が広重の視点とピッタリ合うだろうと写真を撮った。

写真1: 小奈木川五本まつ 想定広重視点

IMG_0196.JPG小奈木川五本まつ.jpg

その位置にちょうどレリーフが飾られている。

この橋の北側袂が公園のようになっている。その写真を幾つか。

写真2: 五本松跡(再現)

IMG_0197.JPG

写真3: 五百羅漢道標

IMG_0194.JPG

ご多分に洩れず、江戸名所図会にも描かれている。

江戸名所図会_小名木川五本松.gif

ほぼ同じ構図だが、こちらの方が写実的か。丹波綾部藩九鬼式部少輔下屋敷の黒塀もきちんと描かれている。

以上
posted by Yogi at 10:55| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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