2011年01月01日

76. 名所江戸百景E 深川萬年橋

江戸名所百景シリーズの第六弾、今回は、第五弾の深川木場から程近い、深川萬年橋である。

深川萬年橋.jpg

しかし、広重はこの構図が好きなようだ。描きたいものの手前に、アップで何かを置く。この深川萬年橋の場合、亀である。

この亀、一体全体何なのだろうか。

調べてみると、放生会というものを描いたものであるらしい。放生会とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式だそうだ。江戸時代の放生会は民衆の娯楽としての意味合いが強く、文化4年(1807年)には富岡八幡宮の放生会例大祭に集まった参拝客の重みで永代橋が崩落するという事故も記録されているそうだ。

繋がった。広重がこの絵を描いたころは1850年頃。永代橋の事故は1800年頃。つまり、既に事故は起こっていたわけだ。

萬年橋を一切描かずにどうやって萬年橋であると表現するのか。放生会の亀を示せば、永代橋崩落を示すことができ、すると深川の地を示すことになり、萬年橋に繋げているのだ。

安政5年(1858年)の地図

深川萬年橋.JPG

現在の地図

ところで、広重の視点だが、富士山が描かれているところから、このように想定してみた。


より大きな地図で 深川萬年橋 を表示

画面左に木が描かれているが、これが萬年橋のランドマークだった大木。今は正木稲荷となっている。だから北岸からの視点。そこでの写真。

cameraroll-1301196471.877324.jpeg深川萬年橋.jpg

橋の欄干を利用して、絵の木枠を表現した。土日の隅田川は遊覧船が良く通る。

萬年橋の写真も

IMG_0191.JPG

三つの風景画集の中では一番古い江戸名所図会では、橋は取り上げられておらず芭蕉庵が取り上げられている。その後に描かれた富嶽三十六景では、ドモロ、橋が描かれている。と、なると、北斎のような構図はできなかったのだろう。

江戸名所図会 芭蕉庵

江戸名所図会_深川芭蕉庵.gif

富嶽三十六景 深川萬年橋下

800px-Hokusai06_mannen-bridge.jpg

以上
posted by Yogi at 15:06| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

75. 名所江戸百景D 深川木場

江戸名所百景シリーズ第五弾、深川八まん山ひらきの北東、深川木場である。

深川木場.jpg

安政5年(1858年)の地図を見てみよう。

深川木場.JPG

西は富岡八幡宮、三十三軒堂、南は洲崎神社、海、東は大横川、一橋殿十万坪、北は仙台掘川の一つ上の水路に囲まれたところである。

現在の地図で示すと、


より大きな地図で 深川木場 を表示

と、殆ど木場公園となる。そう、木場公園は、木場を埋め立てて造った公園なのだ。

写真1: 木場公園

IMG_0185.JPG

さて、広重はどこからの視点でこの絵を描いたのか。川筋の向こうには橋がある。右下は橋の欄干か。と、すると、ここは橋の袂かもしれない。

江戸名所図会では、

江戸名所図会_深川木場.gif

と、説明的に描かれている。が、広重視点の参考にはならない。

再び、安政5年(1858年)の地図に戻る。橋を探す。仙台堀川に掛る、西から亀久橋、要橋、崎川橋、大横川に掛る福永橋、名も無き橋も幾つかある。

名前の付いた橋が3つもあり、場所的にも真ん中に近いし、松平大膳の下屋敷もある、仙台堀川の亀久橋、要橋、崎川橋辺りか。

写真2: 要橋

IMG_0186.JPG

但し、今は仙台堀川には掛っていない。その橋は三つ目通りが出来て無くなったようだ。今は、仙台堀川に南から合流する水路〜今は埋め立てられ川跡の公園だが〜に掛る橋としてある。

そのままこの公園を進むと、何と! 広重の絵を意識したとしか思えない公園となっていた。

写真3: 木場親水公園

IMG_0190.JPG深川木場.jpg

以上
posted by Yogi at 03:24| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。