2011年01月08日

80. 名所江戸百景I 逆井の渡し

江戸名所百景シリーズの第十弾、今回は、逆井のわたしである。

逆井のわたし.jpg

真ん中を流れるのは中川、中川の向こうに見える集落は逆井である。

明治13年の地図で見てみよう。

逆井のわたし.JPG

真ん中に南北に流れるのが中川。『中』の文字が見えると思う。西から流れるは竪川。竪川と中川の合流地点、中川の東岸部分に、新町という集落が見える。その北側には逆井村が見える。

竪川の北岸に竪川沿いに走っているのは佐倉道である。又、新町から北東に走っているのも佐倉道だ。

そう、逆井のわたしは、佐倉道の中川の渡しなのである。

中川口でも思ったが、何故中川口が『名所』なのか。
中川口は江戸名所百景より前に描かれた江戸名所図会でも名所として取り上げられていたので、納得がいった。鱚釣りの名所でもあったようだし。

が、逆井の渡しが何故名所なのか。江戸名所図会では取り上げられていない。その答えが佐倉道なのであろう。

現在の地図で示す。


より大きな地図で 逆井の渡し を表示

竪川は今もある。が、この地図では首都高速の下に隠れている。ブルーの線で表した。
グレイの線が佐倉道だ。赤い線は広重推定視点。

そこでの写真

cameraroll-1301196428.361518.jpeg逆井のわたし.jpg

嘗ての渡しは今逆井橋となっている。せめて鷺がいれば・・・でも雰囲気は残っているか。

現在、逆井の渡しの江戸川区側に説明板がある。

逆井のわたし 説明板

IMG_0201.JPG

佐倉道 説明板

IMG_0202.JPG

以上
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2011年01月03日

79. 名所江戸百景H 中川口

江戸名所百景シリーズの第九弾、今回は、中川口である。

中川口.jpg

手前から来ている流れが小名木川、庶民らしき客を乗せている船が二艘、小名木川から奥に向かっている。奥の川は船堀川、現在の新川。横に流れるは中川である。手前建物らしき物の屋根と人が二人歩いているのが見える。この建物は船番所である。

安政5年(1858年)の地図では、

中川口.JPG

小名木川の中川口北岸に御番所の文字が見える。

小名木川は、萬年橋のところで隅田川から流れ出ているが、隅田川の向こうは日本橋だ。日本橋から隅田川、小名木川を通って、船堀川を過ぎると江戸川に出て、行徳に出られる。行徳は塩の産地で、家康が江戸に入府後直ぐに天領にした。江戸川、船堀川、小名木川、隅田川、日本橋川と、塩を運ぶ道、ソルト・ロードだったのである。行徳の塩が衰退すると、この道は行徳から成田山新勝寺に行く観光ロードとなった。江戸名所百景が描かれたころは既にそうで、だから、船に乗っているのは庶民なのである。

現在の地図で示す。


より大きな地図で 中川口 を表示

広重の視点で、現在の様子。視点は低いが。

cameraroll-1301196518.415480.jpeg中川口.jpg

そう。奥に船堀川は見えない。荒川放水路によって埋め立てられている。新川は荒川放水路の向こうに残っている。写真真ん中に階段が見えるが、そこがかつての閘門で公園内に残されている。

又、画面左手には公園のようなものが見えるが、船番所跡であることをモチーフにした公園である。

ここ中川口も、江戸名所図絵に描かれている。

中川口

江戸名所図会_中川口.gif

これは小名木川の南岸から船番所、中川上流部を俯瞰した視点である。

中川釣鱚

江戸名所図会_中川釣鱚.gif

[キャプション]春鱚は三月の末より四月に入りて盛なり 春釣と云は寛文の頃南総伍大力の船頭仁兵衛をはしめとす 岩崎兵太夫といふ人是に継 いま岩崎流といふは則この人に始りて是より後春鱚を釣る事世に盛なりしと云 秋鱚は八月の末より九月なかはを節とす 然れとも十月に至り寒気にうつれは沖に出るか故川釣に幸なし 漁人海に産するを白鱚と呼川にあるを青鱚と唱ふ 又鱚に大小の差あり 当歳は腹白く五六寸なるを二歳とす 腹すこしく黄色を帯びて背通り黒みあり 七寸より八寸までを三歳と呼 腹黄色にして赤みを帯背の通り黒し 九寸以上を鼻曲と号く鱗あらし 尺に越ゆるを寒風と唱るよし漁人の説なり

ここ(もう少し下流、今の荒川放水路河口、葛西臨海公園の辺り)はキス釣りの名所だった。今でも釣れないことはないと思うが・・・

これで、富賀岡八幡間宮をスタートに、かつての海岸線沿いに西へ、萬年橋から小名木川沿いに東へ、江戸名所百景を巡る度は一段落ついた。この地域だけで9つの名所があったことになる。

又、江戸名所図会との重なりは100%であった。『ここを描こう』と、決めたのは広重ではなかったのであろう。何故なら、名所は既に名所であったはずだから。当然の帰結として江戸名所図絵と重なる。同じ構図で描くわけにはいかない。広重も苦労したことだろう。

以上
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2011年01月02日

78. 名所江戸百景G 五百羅漢さゞゐ堂

江戸名所百景シリーズ第八弾、今回は、五百羅漢さゞゐ堂である。

五百羅漢さゞゐ堂.jpg

安政5年(1858年)の地図では、

五百羅漢さゝゑ堂.JPG

南に小名木川、北に竪川、西に横十間川が見える。

現在の地図では、


より大きな地図で 五百羅漢さゞゐ堂 を表示

猿江恩師公園は猿江御材木蔵跡に作ったことが分かる。明治通りは江戸の道をそのまま活かしていることも分かる。因みに竪川は首都高の下に今もちゃんとある。

そこでの写真

cameraroll-1301196442.297185.jpeg五百羅漢さゞゐ堂.jpg

現在も、同じ場所に同じ名前の寺が建つが、五百羅漢寺とは全く関係が無いようで、件の五百羅漢寺は現在目黒にある。

五百羅漢寺 跡碑

IMG_0198.JPG

しかし、この五百羅漢寺は、相当に大きな寺だったようである。

江戸名所図会では、

五百羅漢 三帀堂

江戸名所図会_五百羅漢三帀堂.jpg

正面本尊之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 正面本尊之図.gif

羅漢堂 護法神宮

江戸名所図会_五百羅漢寺 羅漢堂 護法神宮.gif

東羅漢堂東面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 東羅漢堂東面之図.gif

東羅漢堂西面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 東羅漢堂西面之図.gif

西羅漢堂西面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 西羅漢堂西面之図.gif

西羅漢堂東面之図

江戸名所図会_五百羅漢寺 西羅漢堂東面之図.gif

三帀堂は三階建てで、階段がらせん状だった為、サザエに似ているとのことからさゞゐ堂での名がついた。三階建てということだから眺めも良かった。北斎も描いている。

冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう

800px-Hokusai07_gohyaku_rakan.jpg

−−−−−

2011/1/3追記:

七福神巡りで現在地に移った五百羅漢寺に行ってきた。

写真3: 五百羅漢寺

R0010323.JPG

五百体を越える羅漢像は見事であった。像一つ一つに添えられた言葉達も。

以上
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