2011年01月15日

86. 名所江戸百景P 馬喰町初音の馬場

江戸名所百景シリーズの第十七弾、今回は、馬喰町初音の馬場である。

馬喰町初音の馬場.jpg

『馬喰町』とは、馬を喰う人が住んでいたのか。江戸時代は肉食禁止のはずである。調べてみると、家康が、軍馬を管理する為に、馬工郎をここに住まわせたのが地名の由来であるそうだ。

それにしても、馬場ではなく干された反物をメインに持ってくる構図が広重らしい。ここから少し西へ行くと、紺屋町があるが、その影響なのか。又、山吹色も美しい。色的には、百景の中でも珍しいのではないか。

安政5年(1858年)の地図

馬喰町初音の馬場.JPG

真ん中の青色背景、字が見えづらいが、『馬場』と記載されている。ここが馬喰町初音の馬場だ。
その上を流れているのは神田川、馬場の右上には浅草御門がある。現在も、ここ(浅草橋を渡った橋袂の西側)に浅草見附跡がある。浅草御門の東側には両国広小路がある。浅草御門に繋がる南から来ている道、その一本東の道が日光道中だ。

現代の地図で見てみる。


より大きな地図で 無題 を表示

赤線で囲ったところ、ここが馬場ではなかろうか。
※因みに黒い線が日光道中、青いポイントは浅草見附

広重視点推定地からの写真

IMG_0236.JPG馬喰町初音の馬場.jpg

道路右側の建物が馬場、白いビルが火の見櫓?

江戸名所図会にも描かれていた。

江戸名所図会 馬喰町馬場

馬喰町馬場.jpg

2つ合わせて見ると、馬場には火の見櫓が建っているようだ。馬場の手前は広場になっている。広重の視点は、馬場前広場から、馬場に向かって左側に立ち、火の見櫓を真ん中に置いた構図だったと推定する。

以上
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2011年01月14日

85. 名所江戸百景N 利根川ばらばらまつ、O 堀江ねこざね

江戸名所百景シリーズの第十五弾、今回は、利根川ばらばらまつである。更に、一気に、第十六弾の堀江ねこざねも紹介したい。

利根川ばらばらまつ

利根川ばらばら松.jpg

利根川ばらばらまつは、題名に地名が記されていない唯一の絵であるそうだ。『利根川』と、あるものの、流程が長い利根川のどこなのか、はっきりしない。調べると、妙見島であると推定されているらしい。

そこで、妙見島であるとして、色々と検証、推定してみたい。

まず、現代の妙見島の地図


より大きな地図で 利根川ばらばらまつ&堀江ねこざね を表示

南北に流れている川が江戸川。広重の時は利根川と呼ばれていた。そこにある島が妙見島だ。妙見島の少し上流には、家康が開いた新川が見える。

妙見島の西側に長島川の跡を描いてみた。上流から流れてきた江戸川の流れが、そのまま素直に流れたら、長島川の流程を流れるのではないか。あるいは、洪水の時などは。

その少し下流、境川を見て欲しい。長島川と同じく、江戸川の流れは、境川にそのまま繋がっている。

地理的には、江戸川という大河があり、島があり、新川、長島川と境川がある風光明媚なところ。それが妙見島だ。

歴史的には、最古の記録は南北朝時代の1362年(貞治元年)に、島に妙見堂が建立されたという記録がある。この地を治めていた千葉氏が建てたのであろう。

長島川流域の長島は、葛西地域の中で最も歴史が古い地区である。葛西御厨の一部であり、葛西清重が治めていた。千葉氏が治めたのは葛西氏衰退の後である。又、この地域は河川交通の要所でもあった。長島には長島湊があり、葛西御厨や下総の国の国府の外港の1つとして栄えた。南北朝時代の1372年(文中元年/応安5年)には、香取神宮の河関が設けられた。戦国時代には長島高城があったという説がある。清光寺がその跡と言われている。1559年(永禄2年)の長島は後北条氏の重臣、太田康資の領地の1つだった。近隣では数度に渡って国府台合戦が行われた。

長島の少し北には新川が江戸川と接続している。その少し北には古川も。この古川、新川は、行徳の塩を運ぶソルト・ロードとして栄え、行徳の塩が衰退後は、成田山参詣の川の道として栄えた。

さて、妙見島の辺り、ということは分かったが、具体的にどこなのか。妙見島は描かれていない。ということはそれより上流だ。と、なると、もうここまで来てしまう。江戸川と新川の接続地点だ。が、これが意外に雰囲気が残っていた。改めて絵を見ると、左から船が入ってきている。ということは、やはりここは新川との接続点なのではないか。おそらくここだと思う。現在の地図の赤ポイントでの写真。

cameraroll-1301196526.739821.jpeg利根川ばらばら松.jpg

江戸川サイクリングロードを5分ばかり南下し、次は堀江ねこざね。

堀江ねこざね

堀江ねこざね.jpg

明治13年の地図

利根川ばらばらまつ&堀江ねこざね.JPG

猫実は1157年(保元2年)に神明神社が創建されてから栄えていた地域。この神明神社は広重の絵にも描かれている。境川南岸の側にある。尚、左の北岸が堀江、右の南岸が猫実。明治13年でも繁栄しているのが分かる。地図には長島も入れた。長島も栄えている。

現在の地図のブルーポイントで撮った写真

cameraroll-1301196522.770997.jpeg堀江ねこざね.jpg

コンクリートの堤防で、境川口は全く見えない。が、川があるのが伺えないだろうか。又、河口部に建つビルの角度から、川の向きも、写真右奥に流れているのが分かる。

因みに、広重は富士山も描いているが、東向きなので絶対に富士山は見えない。

以上
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2011年01月08日

84. 名所江戸百景M 亀戸天神境内

江戸名手百景シリーズの第十四弾、今回は、亀戸天神境内である。

亀戸天神境内.jpg

ここ亀戸天神は、九州太宰府天満宮の神官だった、菅原道真の末裔、菅原大鳥居信祐が、正保三年(1646年)、道真ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、亀戸村に元々あった天神の小さなほこらにご神像を祀ったのが始まりで、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱が、鎮守の神様として祀るよう、現在の社地を寄進、寛文二年(1662年)10月25日に、太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されている。

安政5年(1858年)の地図

亀戸天神境内.JPG

現在の地図


より大きな地図で 亀戸天神境内 を表示

広重の視点を探そうと、大晦日の天神内を歩き回った。こんな感じではなかろうか。

写真1: 亀戸天神境内 広重推定視点

IMG_0219.JPG亀戸天神境内.jpg

江戸名所図会にも、相当なページ数を割いて取り上げられている。

亀戸宰府天満宮

亀戸宰府天満宮.gif

亀戸宰府天満宮 其の二

亀戸宰府天満宮 其の二.gif

亀戸天満宮祭礼 神輿渡御行列之図

亀戸天満宮祭礼 神輿渡御行列之図.gif

亀戸天満宮祭礼 神輿渡御行列之図 其の二

亀戸天満宮祭礼 神輿渡御行列之図 其の二.gif

亀戸宰府天満宮 菜種神事

亀戸宰府天満宮 菜種神事.gif

以上
posted by Yogi at 23:03| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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