2010年12月24日

71. 名所江戸百景@ 砂むら元八まん

江戸名所百景を訪ねる新シリーズ、第一回目は近所の砂むら元八まんである。

広重_砂むら元八まん.jpg

『元』八幡ということで、では『新』八幡はどこかと言うと、あの、富岡八幡宮である。そう、あの富岡八幡宮の元宮さんなのである。あちらはたいそう盛り上がっている地区だが、こちらは寂しい限りだが、こちらが本家本元なのである。

由緒だが、藤原鎌足の孫、豊成が下総の守として京の都から下向してきた際に創建されたとのこと。時に、天平勝宝元年(749年)のことである。非常に古い。その後、源頼政、千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方足利基氏、関東管領上杉氏、太田道灌らの崇敬を受けていた。
寛永年間、長盛法師が、夢告により、その像を勧請して起こったのが富岡八幡宮である。だからこちらが元宮。寛文5年(1665年)より、元八幡と呼ばれるようになったという。

安政5年(1858年)の地図

砂むら元八まん.JPG

もう完全に海っぺりである。

明治13年の地図では、

砂むら元八まん.JPG

と、南砂7丁目の交差点を右に曲がり東西線沿いに行く道、そのまま永代通りに繋がる道が、海岸線だったようだ。

現在の地図に示そう。


より大きな地図で 砂むら元八まん を表示

青い線が江戸名所百景、赤い線が江戸名所図会に従った推定の道である。ここから南は海、海であった。

写真1: 富賀岡八幡宮 全景

IMG_0171.JPG

写真2: 富賀岡八幡宮 由緒

IMG_0172.JPG

広重の構図では、鳥居に向かい左手に、海の中に続く小高い道が伸びている。神社の左側面沿いに道が来た後、ちょうど鳥居の辺りから左に直角に曲がり延びている。

が、江戸名所百景(安政3〜5年[1856〜1858年])に広重が描く前に描かれていた江戸名所図会(天保7年[1836年])では、鳥居の前をそのまま左に延びている。

江戸名所図会_砂村富岡元八幡宮.gif

最後に、境内にあった道標。元はどこにあったのだろう。

写真3: 富賀岡八幡宮 道標等

IMG_0174.JPG

以上
posted by Yogi at 15:16| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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