2010年12月04日

65. 国府台〜矢切(総寧寺)

前回の続き。

前回、江戸川サイクリングロードを行ったら北風向かい風で時間が掛ったので、今回は適当に細い道を北西に向かって進む。善養寺の少し手前で江戸川に出た。何気なく土手の下の道を走っていると・・・

写真1: 笹ケ崎の庚申塔河原道石造道標 正面

笹ケ崎の庚申塔河原道石造道標 正面.JPG

写真2: 笹ケ崎の庚申塔河原道石造道標 左側面

笹ケ崎の庚申塔河原道石造道標 左側面.JPG

これより市川への道と彫られている。

写真3: 笹ケ崎の庚申塔河原道石造道標 右側面

笹ケ崎の庚申塔河原道石造道標 右側面.JPG

これより河原への道と彫られている。

思わぬところで河原道道標を発見!

江戸川サイクリングロードに上がり、里見公園入口まで一気に進む。

市川橋で千葉県側に渡り、江戸川沿いを北上、すると・・・

写真4: スカイツリーと富士山

IMG_0110.JPG

今日は本当に天気が良く空気も澄んでいて、遠くまでクリアに見渡せた。先に進む。

羅漢の井のところの道を右に。必死に坂を上がり、里見公園入口のところを左へ。直ぐに総寧寺がある。

写真5: 総寧寺 石仏群

総寧寺 石仏群.JPG

まずは石仏群がお出迎え。

写真6: 総寧寺 銀杏

総寧寺 銀杏.JPG

もう大分落葉していたが、立派だった。銀杏を取りに来ている人3人。

写真7: 総寧寺 本堂

総寧寺 本堂.JPG

総寧寺は、今でこそ若干寂れている感があるが、非常に歴史も規模も格もある立派な寺である。

江戸名所図会_国府台 総寧寺.jpg

この江戸名所図会を見てもそれは明らかであろう。今の位置と比較しどこがどうなのかさっぱり分からないが。

永徳3年(1383年)、近江守護の佐々木氏頼が通幻寂霊を招聘して、同国坂田郡寺倉に總寧寺として建立した。享禄3年(1530年)、戦乱によって總寧寺が焼失。8世住持越翁宗超は、遠江国掛川に退避して同地に常安寺として再建した。この常安寺は永禄年間に戦乱によって焼失。住持らは常陸国に落ち延びた。天正3年(1575年)、常安寺は北条氏政によって関宿宇和田に移転。これは常安寺再建を図る11世住持義翁盛訓の嘆願と関宿城の簗田氏に対する氏政の牽制策の合致によるとされている。その後、総寧寺の旧称に復す。北条氏からは20貫、同氏滅亡後の新領主・徳川氏からは改めて20石が与えられた。元和3年(1617年)、徳川秀忠によって関宿内町(現在の千葉県野田市)に移転。寛文3年(1663年)、徳川家綱によって現在地(国府台城跡地)に移転。2年後に寺領として128石5斗を与えられ、曹洞宗関東僧録司となった。寺は嘉永3年頃(1850年)焼失し、文久2年(1862年)再興された。明治維新後、寺領が新政府により上知されている。(Wikiより)

今日はここまで。
posted by Yogi at 20:40| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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