2010年12月31日

74. 名所江戸百景C 深川八まん山ひらき

江戸名所百景シリーズの第四弾、今回は、第三段の深川三十三軒堂の西隣、深川八まん山ひらきである。

深川八まん山ひらき.jpg

寺の号には必ず山の文字がある。例えば比叡山。山開きとは寺を開くことであり、だから寺に対して使われる言葉だ。が、富岡八幡は神社である。

安政5年(1858年)の地図を見てみる。前回の三十三軒堂と同じ地図だが。

深川三十三軒堂.JPG

この辺りは門前仲町だが、今の賑わいからすると富岡八幡宮の門前かなと思うが、これは富岡八幡宮の門前なのではなく永代寺の門前なのである。つまり、永代寺が主で、富岡八幡宮は単に敷地内にあった神社ということ。だから山開きなのであろう。

永代寺は、寛永元年(1624年)、長盛の開山により永代島に創建された。江戸時代には栄えたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。今も永代寺はあるが、それは、明治29年(1896年)に、旧永代寺の塔頭の吉祥院が再興したもの。

現代の地図では、


より大きな地図で 深川八まん山ひらき を表示

と、永代島の様子が伺える。

永代寺には庭園があった。広重が描いたのはその庭園。その庭園は今は深川公園になっている。

cameraroll-1301111234.269726.jpeg深川八まん山ひらき.jpg

なんとなく、画面右上奥に広がっていく感じが出ているのではないか。

絵には全く描かれていないが題名には使われている富岡八幡宮も載せておこう。

富岡八幡宮

IMG_0183.JPG

ここ、富岡八幡宮、永代寺は江戸名所図会にも描かれている。

永代寺山開

江戸名所図会_永代寺山開.gif

永代寺山開 其の二

江戸名所図会_永代寺山開 其の二.gif

富岡八幡宮

江戸名所図会_富岡八幡宮.gif

富岡八幡宮 其の二

江戸名所図会_富岡八幡宮 其の二.gif

富岡八幡宮 其の三

江戸名所図会_富岡八幡宮 其の三.gif

二軒茶屋雪中遊宴之図

江戸名所図会_二軒茶屋雪中遊宴之図.gif

このように、江戸名所図会では何枚にも分けて大々的に取り上げられている。よほどの名所だったのだろう。

以上
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73. 名所江戸百景B 深川三十三軒堂

江戸名所百景シリーズの第三弾、第二弾の深川州崎十万坪の近く、深川三十三軒堂である。

深川三十三軒堂.jpg

深川三十三軒堂がどこにあったか、それは非常に分かりやすい。

安政5年(1858年)の地図を見てみよう。

深川三十三軒堂.JPG

富岡八幡宮の直ぐ東側である。

広重の絵では、奥側に川がある。これは川幅からして東側の川であろう。と、いうことは、富岡八幡宮サイドからの俯瞰ということになる。

現在の地図


より大きな地図で 深川三十三軒堂 を表示

1858年の地図と見比べても、とてもよく残っている。

江戸名所図会では、

江戸名所図会_三十三軒堂.gif

と、これは南側からの視点であろう。

京都東山の三十三間堂を模して、寛永19年(1642年)11月、弓師備後が幕府より浅草の土地を拝領し、建立した。将軍徳川家光の命により旗本吉田久馬助重信が射初めを行った。

その後元禄11年(1698年)の火事により焼失、元禄14年(1701年)富岡八幡宮の東側に再建された。しかし、明治5年(1872年)、神仏分離により取り壊された・・・そうです。神仏分離・・・

今現地には、跡碑がある。

写真1: 深川三十三軒堂 跡碑

IMG_0182.JPG

さて、この写真に見える横断歩道は深川八幡橋東だが、その交差点を西に、富岡八幡宮方向に行くと、日本で初めての国産鉄橋である旧弾正橋がある。それも載せておく。

写真2: 旧弾正橋

IMG_0180.JPG

以上
posted by Yogi at 01:25| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月26日

72. 名所江戸百景A 深川州崎十万坪

江戸名所百景シリーズ第二弾、第一弾の深川元八まんの近く、深川州崎十万坪である。

広重_深川州崎十万坪.jpg

この絵はどの地点のどこからの視点で描かれたのか、分かっていない。そこで推定することにする。手掛かりになるのは、

@地名の深川洲崎
A手前が海
B奥に筑波山
C江戸名所図会は江戸名所百景と重なる場所が多い。

で、ある。

Cについて、確認すると、しっかりあった。

江戸名所図会_州崎弁天社.gif

と、いうことで、やはり、洲崎神社の辺りなのであろう。

安政5年(1858年)の地図を見たら十万坪がどこだか分かった。

深川州崎十万坪.JPG

地図の真ん中、一橋殿とある右に十万坪の記載が確認できる。西が大横川、北が小名木川、東が横十間川、南が仙台掘川に囲まれた地区が十万坪のようである。

さて、現在の地図で江戸名所百景の視点と江戸名所図会図中の構図を推定してみる。


より大きな地図で 深川州崎十万坪 を表示

グレーの線が広重の視点と思われる。洲崎神社の上を右斜めに走っているが、その先は筑波山である。でも、広重の絵は、鷹の視点で描かれている。洲崎沖の上空からだ。洲崎神社が描かれていてもよさそうだが、描かれていない。なので、もう少し東側かもしれない。
洲崎神社下のブルーの線は、江戸名所図会、江戸名所百景両方共、構図手前に描かれている海岸線。
洲崎神社上のブルーラインは、江戸名所図会図中左上に描かれている大横川、赤い線は同じく左やや上に絵がれている橋である。

写真1: 洲崎神社

IMG_0175.JPG

由緒だが、徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院が守り神として崇敬していた厳島神社の分霊祭神市杵島比売命を、元禄13年(1700年)に、江戸城中紅葉山よりこの地に環したのが起こり。

寛政3年(1791年)9月4日にこの地を襲った高潮により、幕府はこの辺りの土地を買い上げ、付近に住むことを禁じた。その際、東と西に波除碑を建てた。その東側の碑がここの境内に残っている。

写真2: 洲崎神社 波除碑

IMG_0176.JPG

因みにこの波除碑、江戸名所図会の図中左やや下にしっかりと描かれている。

以上
posted by Yogi at 13:09| Comment(0) | 名所江戸百景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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