2010年10月30日

60. 小松川(西小松天祖神社〜小松川沿い〜京葉道路)

前回の続き。

旧道を正徳寺まで戻る。善照寺に向かい、善照寺山門を右に行くと小松川に出る。小松川を左に。中川との合流点の橋を渡り中川沿いに行くと、かつてこの地が葛西御厨であったことを示す、江戸川区ではおなじみの天祖神社がある。

写真1: 西小松天祖神社 灯篭

天祖神社 灯篭.JPG

拝殿、本殿の写真があったはずだがデリートしてしまったようで灯篭の写真を載せます。

ここ天祖神社は西小松村の鎮守、康正2年(1456年)御鎮座の古い神社。元佐倉道と元行徳道の交差点(今は荒川の底)に在った四つ又道標が、宮司を務める秋元氏宅内にあるとのことで探しまわったが、見つからず。それにしても、この辺りで一番古い史跡である。人が集まり神社が作られる。ここ小松川は、室町時代から人が集まっていた所なのだろう。

小松川に戻り川沿いを進む。すると宝賽院、永福寺があるが、その手前に大江川水神宮がある。

写真2: 大江川水神宮

大江川水神宮.JPG

小松川周辺ではこれが2つ目。

写真3: 宝賽院

宝賽院.JPG

インターネットで調べるも情報無し

写真4: 永福寺

永福寺.JPG

インターネットで調べるも情報無し

川沿いに先に進む。この道を右に行くと源法寺に出る、という道を右に折れる。すると、ピンクのモダンな建物、それが寿光院。

写真5: 寿光院

寿光院.JPG

お寺というよりむしろヨーロッパの田舎の教会のような作り。元和3年(1617年)に圓蓮社鏡誉輪冏上人(えんれんじゃ−きょうよ−りんげいしょうにん)によって開創された浄土宗の寺院。正式には「西方山 無量教寺 寿光院」と言う。寛文3年(1663年)には総本山知恩院(京都)の末寺となった。本尊の阿弥陀如来(坐像)は鎌倉末期の作と伝えられる。

直ぐ隣に又、3つ目の水神宮。

写真6: 寿光院脇 水神宮

寿光院脇 水神宮.JPG

源法寺方向に進み左に入る道を行くと泉福寺がある。

写真7: 泉福寺

泉福寺.JPG

真言宗豊山派、香長山円通院と号す。本尊は、木造聖観音菩薩立像。中興開山は、賢専法印で永禄二年(1559年)。

そのまま道を行くと小松川に戻る。橋を渡ると西方寺仲台院がある。

写真8: 西方寺仲台院

西方寺仲台院.JPG

浄土宗、無量山西方寺と号す。鎌倉光明寺の應誉良道上人が1539年(天文8)年に建てた堂宇を始まりとする。1717年(享保2年)年に吉宗が鷹狩りの際に立ち寄り、西方寺を将軍御膳所とした。以来、西方寺は江戸幕府将軍の御膳所とされてきた。葵の御紋が多いわけだ。

川沿いを少し戻りすぐ右折。突き当りに諏訪神社がある。

写真9: 諏訪神社

諏訪神社.JPG

諏訪の辺りからこの地に来た人達が勧請したのだろう。境川の三嶋神社もそうだ。新右衛門、権兵衛、長兵衛などは伊予の国の出か。そう思うと非常に興味深い。

そのまま中川に向かうと京葉道路の先に小野原稲荷神社がある。

写真10: 小野原稲荷神社

小野原稲荷神社.JPG

小松川に戻り川沿いを北へ。すると祠が。

写真11: 京葉道路手前 地蔵祠

京葉道路手前 地蔵祠.JPG

京葉道路に出て右に行くと西蓮寺

写真12: 西蓮寺

西蓮寺.JPG

今日はここまで
posted by Yogi at 13:41| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

59. 小松川(渡し場水神宮〜旧道〜船堀街道)

江戸川区川シリーズ、最後は小松川。

スタート地点はここ、船堀橋手前付近。

WS000000.JPG

旧道と思しき道を北へ。途中、右斜め上に上っている道は、恐らく、用水跡。後日紹介する。用水跡を渡り暫く行くと、渡し場水神宮がある。

写真1: 渡し場水神宮

渡し場水神宮.JPG

インターネットで調べるも、ローカル過ぎて今一情報が無い。が、ポイントは先程の用水跡だ。本当に用水跡でこの道が旧道だとすると、用水で橋を渡っていることになり、橋を渡ったすぐのところにこの渡し場水神宮があることになる。この水神宮の辺りから集落が始まっているのだろう。こういう想像は楽しい。

先に進む。趣のある小道だ。宮前八百芳商店の辺りで、「宮前」の名の通り、左手に白髭神社がある。

写真2: 白髭神社

白髭神社.JPG

元は浮洲浅間神社。神社の古鏡に天平11年(739年)の銘もある、江戸川区最古の神社のひとつ、と言われる。昔々、漁師が潮待ち。浅間さまの札が流れてくる。その札を埋め置いたところにだんだん砂がたまってくる。で、そこにお宮を建てた、とか。中川・荒川放水路開削の折、白髭神社に合祀され、今に至る。

旧道に戻り更に進むとすぐに左手に近代的な建物の正徳寺。

写真3: 正徳寺

正徳寺.JPG

インターネットで調べるも情報無し。大きなお寺さんなのだが。

正徳寺の角を左へ。真っ正面に善照寺がある。

写真4: 善照寺

善照寺.JPG

善照寺 医王山薬王院 真言宗豊山派、本尊は大日如来。開山は隆範上人で大永2年(1522年)、万治3年(1660年)に頼玄上人が中興。通称は相撲寺、理由は横綱明石志賀之助が1699年にこの境内で引退相撲を行ったからという。又、江戸川区で最初の学校、葛西小学校が開かれたことでも有名。

旧道に戻り先に進む。暫く行くと左手に源法寺。

写真5: 源法寺

源法寺.JPG

源法寺 青面金剛像庚申塔.JPG

浄土宗、壽覚山無量院と号す。天正元年(1573年)に普光観智國師が開山。三代将軍家光公から御朱印地
六石を授かった名刹。また、宇喜新田を開拓した宇田川喜兵衛門定氏の菩提寺でもある。防火用に周囲に堀を巡らしたので「堀まき寺」といわれた。

青面金剛像庚申塔(寛文3年1663年)は江戸川区文化財

旧道に戻りすぐのところに地蔵堂がある。

写真6: 東小松川 地蔵堂

東小松川 地蔵堂.JPG

そのまま進むと船堀街道に出て旧道は終わる。

今日はここまで
posted by Yogi at 12:19| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

58. 境川の地図

現代の境川の地図


より大きな地図で 境川 を表示

古川から境川に行く旧道を示す為、古川とその旧道も含めている。

明治初期の境川の地図、これは境川シリーズの冒頭でも使用したもの。

境川.JPG

境川も古川と境川を結ぶ旧道もあった。日蓮三山や広済寺などお寺さんが集中していた境川の直ぐ右手の道も、新川まで戻ると水色の線なので用水と思われる。現在の環七を過ぎてすぐのところで終わっているが。が、細い道となって続いているようで、日蓮三山に続いている。

興味深い。

以上
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57. 境川(三嶋橋〜陣屋橋)

前回の続き。

境川の環七の橋、三嶋橋から環七を左に行くと、先程の日蓮宗3山があった、元は用水と思われる道に出る。そこを右手に進むと、左手に、広済寺と證大寺がある。

写真1: 広済寺

広済寺.JPG

黄檗宗というあまり聞かない宗派のこのお寺さん。黄檗宗をWikiで調べてみると・・・

黄檗宗(おうばくしゅう)は、日本における仏教の宗派であり、臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一つである。唐の僧・黄檗希運(臨済義玄の師)の名に由来[1]する。臨済宗、曹洞宗が日本風に姿を変えた現在でも、黄檗宗は明朝風様式を伝えている。本山は隠元の開いた、京都府宇治市の黄檗山萬福寺(おうばくさん まんぷくじ)である。

日本では、江戸時代初期の1654年(承応3年)に明末清初の中国から招聘された中国臨済宗の隠元隆gにより始まる。1740年(元文5年)に第14代住持に和僧の龍統元棟が晋山するまでは伝統的に中国から住職を招聘してきた。当初、正統派の臨済禅を伝えるという意味で「臨済正宗」や「臨済禅宗黄檗派」を名乗っていた。宗風は、明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。幕府の外護を背景として、大名達の支援を得て、鉄眼道光らに代表される社会事業などを通じて民間の教化にも努めたため、次第に教勢が拡大した。萬福寺の塔頭は33ヵ院に及び、1745年の「末寺帳」には、1043もの末寺が書き上げられている。
1874年(明治7年)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二宗と定めたため、強引に「臨済宗黄檗派」(りんざいしゅうおうばくは)に改称させられたが、1876年(明治9年)、黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立することとなった。

・・・とのこと。日本に来た1654年から、和僧が晋山する1740年までの約100年も中国から住職を連れてきていたところなんか、マイノリティの意地を感じる。

直ぐ隣に證大寺

写真2: 證大寺

證大寺.JPG

このお寺さんのホームページによると・・・

證大寺の歴史は、続日本後記に、参議刑部卿小野岑守が承和二年(八三五年)に福岡県京都郡犀川町に病人や餓死する者の多い事を哀れみ、続命院という御堂を建立し、難民を救った事に端を発します。
その後、長い歴史を経て、現在では、親鸞聖人の御教えを伝える寺院として、首都圏においてお勤めしております。

・・・と、いうことで、以外にも、親鸞縁の寺であった。この辺りだと、明福寺、了善寺、西光寺もそうだった。

境川に戻り川沿いを進む。

すると、日枝神社、光明寺、法龍寺と固まっているエリアがある。

まずは日枝神社

写真3: 日枝神社

日枝神社.JPG

船堀の氏神様。元の氏神様は既述のように三嶋神社。1614年(慶長19年)に、船堀を新田として開発した際に勧請したのが始まり。

次に光明寺

写真4: 光明寺

光明寺.JPG

真言宗豊山派。開山は覚仙上人で、日枝神社と同じ1614年(慶長19年)に、本尊として不動明王を祀り一宇を建立したのが始まり。

この年代の符合は、ただの野原だったところに、新田を開発するぞと人が集まると、神社を作り、お寺さんを呼び、そうして街が出来上がっていくということが良く分かる。

法龍寺は写真撮らず。

そのまま川沿いを進むと陣屋橋通りに出る。ここが陣屋橋。陣屋の名は国府台合戦寺にここに北条方の陣屋があった為。詳しくは15. 行徳塩の道(新川〜中川口)(http://yogimessage.seesaa.net/article/149409554.html)で紹介済。

これで境川はお終い。
posted by Yogi at 11:04| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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