2010年08月19日

47.佐倉道(中山競馬場入り口〜西海神)

前回の続き。

古作道(宝成寺の道)の少し先に葛飾神社がある。

写真1:葛飾神社

葛飾神社.JPG

祭神は瓊々杵尊、彦火々出見尊、熊野大神。風光明媚景勝の地、勝間田の池(現 勝間田公園)のほとり丘の上、熊野大権現の此の地に、大正五年一月十三日一郡総社葛飾大明神を千葉県東葛飾郡葛飾村本郷141番地(現船橋市文化財、葛羅の井戸、(昔、葛飾大明神御手洗の井戸))の西側台地より此の地に奉遷奉斉し、熊野権現社へ合祀し村社葛飾神社と改称し現在に至る。

直ぐ隣に勝間田公園がある。昔ここは葛飾川の谷口に作られた溜池で、南部低地の水田の田水を確保してきた。地元は「昔日蓮上人が房州からきて、この土地から船にのって鎌倉に行った」とする。前回紹介した二子の二つの池と同じだ。奈良にある勝間田の池は万葉集に詠まれたが、佐倉道を通る人々が、万葉のこの歌にある勝間田の池をこの池に投影し、勝間田の池と呼ばれるようになったのか。

江戸名所図会にも描かれている。

江戸名所図会_勝間田池.jpg

『万葉集』かつまたの池はわれしるはちなししかいふ君が髭なきがごと 新田部親王

左下に見えるのが葛飾神社(当時は熊野神社)。手前から奥に続く道が佐倉道。

勝間田の池を過ぎて直ぐの道を左に入るとY字路になっていてその分岐点に庚申塔がある。

写真2:西船庚申塔

西船庚申塔.JPG

このY字路を左に入り、そのまま道なりに進むと先の古作道に出る。古作道の向かい側に続きの道があるのでそこに入り、そのまま進むと突き当るが、そこに庚申塔を見つけた。

写真3:西船庚申塔A

西船庚申塔 (3).JPG

期待していないところにこのような歴史に触れると非常に嬉しい。又、庚申塔があるということは旧道ということ。改めてこの辺りの道を見てみると、旧道と思われる道ばかり。今回のサイクリングでは一部しか回れていない。全部回ったら庚申塔や道標、馬頭観音など多く見つかるのではないか。今度トライしてみたい。

さて、道を戻り、更に先に進むと、左手に春日神社がある。

写真4:西船春日神社

春日神社.JPG

春日神社は印内町の産土神で、創祀は不詳だが享保十年(1725年)の「下総国葛飾郡印内村屋敷地押帳」に見える外、享保二十一年(1736年)の「春日大明神宮御報謝氏子日記」が残されている。祭神として、古来藤原氏の氏神である中臣の祖 天児屋根命をはじめ香取、鹿島の神などを勧請した春日四所明神を奉斎し、印内町の本来の氏神として尊崇されている。明治四十二年に熊野社と駒形社を合祀した。

暫く進むと左手に山野浅間神社がある。

写真5:山野浅間神社

山野浅間神社.JPG

此の神は、奈良平安時代から、山野浅間神社と稱する一宇の祠は、駿河の國富士浅間社勸請で木花咲耶姫を奉祀して、縁結び、安産、子育ての神として近郊近在の尊詣頗る厚く、毎年七月一日の山開きには、お禮詣り善男善女が列をなし登山参拝して大賑わいであったと傅へ現在もその隆盛を誇ってゐる。山野浅間神社の名が廣く世に知られる所以である。爾来、嘉永三年(1850年)に神殿として造営され、昭和四十七年七月に増改築が行はれ間口四間三尺奥行七間三尺に及ぶ新社殿となった。地方の信仰の中心である由緒深き霊地を、有るが儘に任せるには偲びず、御許を仰ぎ古き祠が鎮座してゐたといふ因縁の地を探し求め、此の神殿を建立寄進したしだいである。入神の儀を行ひ、末永く霊験灼かに若き男女に縁結び、安産、子育て、旅の安全の幸を授け給へと祈りその由来を誌すものである。

今日はここまで
posted by Yogi at 23:19| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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