2010年06月24日

31.行徳(関ヶ島〜成田道)

権現道に戻り進むと、教信寺がある。

写真1: 教信寺

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今井の浄光寺の末寺、信楽寺と教善寺が昭和27年に合併した寺である。それぞれの寺の一字をとり、教信寺となった。信楽寺は元亀元年(1570)の建立で古刹。

暫く進むと神明神社

写真2: 神明神社

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更に進むと本久寺がある。

写真3: 本久寺

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中山法華経寺の末寺。戦国時代の元亀3年(1572年)の創建。日能上人の開基。隣の寺、中山末寺の本応寺(天正6年(1578年)創建、日応上人開基)と併合し、本応山本久寺となった。

直ぐ隣に浅間神社

写真4: 浅間神社

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道を渡ると、真間山弘法寺の末、平正3年(1575年)の創建、日乘上人の開基となる正讃寺がある。

写真5: 正讃寺

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直ぐ隣に浄閑寺がある。

写真6: 浄閑寺

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芝増上寺の末寺で、寛永3年(1626年)に鎮誉上人が創建した寺である。当初は草庵に等しかったが、代官により、七堂を備える立派な寺院にしたとされる。当時は近くの内匠堀から直接船で入れる池が有名な寺だった。

山門入口脇には、「南無阿弥陀仏」と六面に刻み、その下にそれぞれ「地獄・飢餓・畜生・修羅・人道・天道」と六道を彫った、高さ2mほどの名号石「六面塔」が聳え、半肉彫りの「六地蔵」も並んでいる。これらは、明暦の大火の犠牲者供養のため建立されたもので、ほかに、慶安3年(1650年)の「萬霊塔」、慶安4年(1651年)の「延命地蔵」が立ち並んでいる。

暫く進むと円頓寺がある。

写真7: 円頓寺

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天正12年(1584年)、日蓮宗中山法華経寺歴世である日通上人の弟子・寂静院日圓上人により開創された寺である。明治14年(1881年)4月の行徳町の大火事により本堂・庫裡が焼失し、現在の山門のみ残った。現本堂は昭和55年の再建である。

本堂正面入口の上にある金文字の海近山の山号額は、幕末の三筆と言われた江戸末期の書家「市河米庵の筆」によるもの。

直ぐ先には妙覚寺がある。

写真8: 妙覚寺

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天正14年(1586年)に創建され、正覚山と号する日蓮宗中山法華経寺の末寺である。開基は心了院日通上人で、日蓮上人像を本尊して祀っている。

境内には、東日本では珍しいキリシタン信仰の遺物であり、房総で唯一基のキリシタン灯籠がある。戦国時代の大名古田織部の創案と言われ、別名を織部燈籠という。

写真9: キリシタン灯篭

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法泉寺を過ぎると現在の寺町通り、成田道の行徳ルートに出る。
徳願寺等成田道沿いにある史跡は成田道行徳ルートの回で紹介することにする。

今回は内匠堀跡の道を少し戻り、法善寺、豊受神社を巡った。

写真10: 法善寺

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慶長5年(1600年)宗玄和尚が開基した浄土真宗本願寺派の寺で、山号は仏性山という。この宗玄は曽て河本弥左衛門と言い、片桐且元に仕えていた大坂の人だった。行徳にきた弥左衛門は海岸や荒地を開拓し、塩田を造って塩焼の製法を里人に教えた。法善寺が行徳塩の発祥地として「塩場寺(しょばでら)」と呼ばれるのはこれに起因する。

行徳の塩業はすでに千年以上も前から行なわれていたという。
当時の行徳は江戸川の形成したデルタ地帯で、その海岸線は東西線に並行して走るバイパスの辺りであったと考えられる。
小田原北条氏が天文、永禄の二度にわたる国府台合戦で里見氏の勢力を撃退してからは、行徳で生産された塩を年貢として取り立てたといわれているが、北条氏滅亡後、徳川家康が関東を治めるようになると、家康は行徳の塩業を重視し、行徳を直轄領(天領)として治めた。

家康は、東金に幾たびか狩猟に出かけたが、その時船橋に御殿を造り、そこを中継地点として休憩、宿泊に当てた。
家康はそのおり塩業関係者を御殿に集め「塩は軍用第一の品、領内壱番の宝である」といって多額の奨励金を与えたという。
家康は行徳で生産された塩を直接江戸へ運ばせるため、隅田川から中川、そして江戸川へと運河をつくらせた。
行徳を治めた代官に吉田佐太郎がいた。彼は相之川の了善寺に陣屋を置き、製塩奨励のため「塩浜の開発には五カ年間の諸役を免除し、その後は生産高の十分の一を年貢として納めればよい」という触れを出している。
塩田開発についてはこのほか、慶長年間(1596〜1625年)には河本弥左衛門が関西からこの地に来て、干潟やアシの原野を開拓し、塩田をつくって塩焼きの製法を教えたところ、今日まで「塩焼」の地名が残ったという。
弥左衛門は出家して宗玄和尚となり慶長5年に建立したのが法善寺で、通称塩場寺(しょばでら)と呼ばれている。
また、寛永年間(1624〜1644年)田所長左衛門が近江国(滋賀県)信楽から行徳に来て製塩業に従事したといい、江戸神田の儀平衛は、寛保3年(1743)塩浜を開発して儀兵衛新田と称し、江戸横山町の加藤作兵衛が、安永4年(1775年)開発した塩田を加藤新田と称した。

江戸名所図会の行徳塩竃

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同じく行徳汐浜

江戸名所図会_行徳汐浜.jpg

行徳ちどり

江戸名所図会_行徳鵆.jpg

隣には豊受神社

写真11: 豊受神社

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境内には庚申塔

写真12: 庚申塔

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「行徳千軒寺百軒」行徳、先は長い。今日はここまで。
posted by Yogi at 06:49| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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