2010年06月21日

30.行徳(押切〜関ヶ島)

押切に押切稲荷がある。

写真1: 押切稲荷

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押切の名は、昔、葛西領下鎌田村の村民がこの地に移住し、隣村の村民の妨害を “押し切って”移住したことに由来すると伝えられる。

法伝寺山門の道、これは内匠堀跡だが、ここに戻り進むと、光林寺がある。

写真2: 光林寺

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天文年間(1532〜55年)に尊了和尚が開基した寺。江戸川区江戸川にある浄興寺の末寺。
参道左側に不動堂があり、本尊は平安時代後期の真言宗新義派の開祖、興教大師の作といわれる不動像が祀られている。

更に進むと清岸寺がある。

写真3: 清岸寺

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浄土宗知恩院の末寺で慶長15年(1610)源心寺二世・行誉上人が建立。

更に進むと豊受神社がある。

写真4: 豊受神社

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伊勢宿の鎮守、由来ははっきりとしないものの、本殿創建は元禄7年(1694年)、鳥居は文政2年(1819年)の建造。
「伊勢宿(いせじゅく)」の地名の由来だが、伊勢参りの船が出た所、近くに伊勢外宮の豊受大神を祭った豊受神社がありまた宿場でもあった名残という。

更に進むと徳蔵寺がある。

写真5: 徳蔵寺

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天正3年(1575年)、小岩善養寺の末寺として、関ヶ島に開かれた真言宗の寺院。
開創当初の寺域は広く、七堂伽藍の殿堂等輪奐の美を極め、徳川幕府中期以降、徳川家の祈願寺として最も隆盛し、徳川家康公が御鷹狩りの際には徳蔵寺に立ち寄ったと伝えられている。寺町行徳1丁目から関ヶ島に延びる、通称「権現道」は、家康公御鷹狩りの際歩かれた道は徳蔵寺から始まっている。

古老の話では「物心つきし時分もなお御殿女中の如き方々が駕籠にて徳蔵寺に時折参拝に来りたるを見た」と伝えられ、現在も本堂内陣には、江戸幕府初代将軍家康公より七代将軍家継公までの尊牌が安置されているという。

ここからは内匠堀跡の道から権現道を行く。

写真6: 権現道

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暫く行くと、関ヶ島の鎮守、天正3年(1575年)創建の胡録神社がある。

写真7: 胡録神社

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暫く行くと交差点、それを左に見ると歴史を感じられる一軒家がある。浅子神輿店である。

写真8: 浅子神輿店

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行徳の町で神輿が作られたのは、江戸中期頃からで、日光東照宮を作った宮大工が行徳地区に移り住んで神輿を作ったのが始まりとも言われているが、堅牢な神輿が有名になり、神輿づくりが盛んになったという。そして、その神輿の商談に欠かせないものが、行徳の塩だった。造られた塩が新潟、長野などの山間部へと運ばれていく時、神輿製作の依頼も受けてきたようで、1〜2年後に完成した神輿がまた、塩と共に、行徳河岸から船で江戸川を下り、東京湾から隅田川を上り、千住まで行き、日光街道、中仙道を通ってソルトロード(塩の道)沿にある宿場や村に運ばれていったという。

行徳の神輿は、北は北海道、南は九州まで、日本全国の神社、町会等に数多く納入されているそうで、関東の神輿の大半が実は行徳製であるという。深川の富岡八幡の神輿も浅子神輿で作られたものの由。

本行徳の「浅子神輿店(浅子周慶)」、関ヶ島の「後藤神仏具店(後藤直光)」、本塩の「中台神輿製作所(中台祐信)」の3軒の神輿店があったが、室町末期応仁年間創業の浅子神輿店が16代浅子周慶氏の急死で、平成19年10月、500年の歴史に幕を閉じたことにより、現在では、唯一中台神輿製作所が製造から販売まで一貫して神輿を手掛けている。

江戸川方面に向かうと、常夜灯がある。

写真9: 常夜灯

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寛永9年(1632年)この航路の独占権を得たのが本行徳村だった。新河岸と呼ばれたこの船着場から江戸日本橋小網町までの間を往復した就航船を「行徳船」または「長渡船」と呼んだ。行徳船を利用した人たちには、松尾芭蕉、十返舎一九、小林一茶、渡辺崋山、大原幽学など、歴史上、文学史上に著名な人物も多く、特に文化・文政(1804〜30年)の頃からは、行徳を訪れる文人墨客や、当時ますます盛んになってきた成田山参詣の講中(信者の仲間)たちによって、船着場は賑わいを極めた。
この常夜燈は、文化9年(1812年)江戸日本橋西河岸と蔵屋敷の講中が、航路の安全を祈願して成田山新勝寺に奉納したもの。正面の裏面に「日本橋」と筆太く刻み、左側に「永代常夜燈」、右側に「文化九壬申年三月吉日建立」と刻み、台石には「西河岸町太田嘉兵衛、大黒屋太兵衛」ほか21名の氏名が刻み込まれている。

行徳街道に戻ると笹屋うどんがある。

写真10: 笹屋うどん

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日本橋小網町を出発した旅人は行徳河岸で上陸すると、先ずこの店のうどんで腹ごしらえするのが普通だったという。安政元年(1854年)築の建物がその侭残っているのが凄いと思うが、一見そんなに古いようには見えない。このうどん店は、明治になって廃業し、現在は個人の住宅になっている。

「音のない滝は笹屋の門にあり」、「行徳を下る小船に干うどん」、「出ますよと笹屋に船頭声をかけ」、「さあ船がでますとうどんやへ知らせ」

当時旅人が船を待つ間に笹屋でひと休みして、土産に干うどんを持ち帰ったそうだが、その情景が生き生きと感じられる。

江戸名所図会にも笹屋うどんの文字が

江戸名所図会_行徳船場.jpg

「行徳千軒寺百軒」行徳、先は長い。今日はここまで。
posted by Yogi at 08:39| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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