2010年06月20日

29.行徳(相之川〜押切)

行徳という地名の由来は、大永7年(1527年)、金海法印という山伏が、伊勢内宮の土砂を中州(江戸川区東篠崎町辺り)の地に運び、内外両皇大神宮を勧請して、神明社を建立したことに始まる。

金海法印は土地の開発と、人々の教化に努め、徳が高く、行いが正しかったことから多くの人から「行徳さま」と崇め敬われたと言われている。

葛飾記によれば、「惣て行徳と名付る事、本行徳金剛院の開山行人よりして起る」とある。

また、葛飾誌略では、「行徳といふ地名は、其昔、徳長けたる山伏此処に住す。諸人信仰し行徳と云いしより、いつとなく郷名となれりと。云々。其後、此庵へ出羽国金海法印といふもの来たりて、行徳山金剛院といふ。・・・天文11年(1542)也」とある。

堀江・猫実・当代島からの旧道を進み、現在の今井街道を渡り、一つ目の交差点を右に入りしばらく行くと、応仁2年(1468年)建立の了善寺がある。

写真1: 了善寺

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了善寺は、江戸初期の行徳領の代官・吉田佐太郎の陣屋跡としても知られている。
門前に聖人御逗留旧跡の石碑が、境内には旅姿の親鸞聖人像がある。

吉田家は代々鎌田の庄(現江戸川区)に居を構え、佐太郎の8代前にあたる吉田源五左衛門の時、親鸞聖人が関東を遊歴、その折、吉田家に逗留したという。

旧道に戻り次の交差点を右に入る。これは恐らく万治2年(1659年)創建、相之川の鎮守の日枝神社の参道だったのではないか。

写真2: 日枝神社

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写真で参道が直角に左に曲がっているのが分かると思う。その先は行徳街道なのだが、曲がらずに進むと鳥居があり、先程の道に繋がるのだ。

日枝神社からは行徳街道を行く。直ぐにクランクがあるが、斜め右に行く本道ではなくそのまま真っ直ぐに行く道が旧道だ。突き当りには三峯神社がある。

写真3: 三峯神社

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調査するも創建年、由緒等不明。

暫く行くと、慶長16年(1611年)、港区芝増上寺の中興である源誉上人観智国師が狩野新右衛門の私財によって堂宇を建立、開山した源心寺がある。

写真3: 源心寺

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敷地内には欠真間不動尊もあるが、現在は荒れ果てていて、修復金を募っている。

写真4: 欠真間不動尊

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暫く進むと、香取神社がある。

写真5: 香取神社

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境内に三猿庚申塔

写真6: 三猿庚申塔

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「かとり」ではなく、「かんどり」と読む。佐原に本宮がある香取神宮とは無関係である。行徳の香取(かとり)神社は、行徳道と行徳街道の交差点付近、相之川にあり、ここは、香取神宮の行徳関が置かれたところである。

では「かんどり」とは。「かんどり」は「梶取」とも書くことから、東京湾の海上交通で強い勢力を持っていた豪族がこの地域にいたのではなかろうかと云われている。梶取は船の舵を取るという意味がある。

暫く行くと、元和7年(1621年)、覚誉和尚によって開基、港区芝増上寺の末、善照寺がある。

写真7: 善照寺

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入口に鎮座する五智如来の大きな石仏は万治元年(1658年)頃造られたもの。

写真8: 五智如来

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直ぐ隣に、永禄5年(1562年)開基の円明院がある。

写真9: 円明院

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ここの山門は行徳地区の中で建築が明解なものの一番古い建物(元文3年(1738年))

円明院の裏には、天文22年(1553年)、観竜上人によって創建、浄土宗大本山増上寺の末、法伝寺がある。

写真10: 法伝寺

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「行徳千軒寺百軒」行徳、先は長い。今日はここまで。
posted by Yogi at 08:35| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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