2010年06月11日

27.堀江、猫実、当代島、新井

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広重にも描かれたこの堀江・猫実。
真ん中に流れるのが境川。境川の両岸に集落があるが、左側が北側になるので猫実、南が堀江だ。猫実と堀江の境だから境川。

1157年(保元2年)に地域内に神明宮社が創建されたと言われる。
1417年(応永24年)の日英末寺等支配注文には「同国八幡猫真講」とあり、室町時代より下総国八幡荘の「猫真」として当地の名が見られる。

江戸時代には、徳川領を経て1603年(慶長8年)からは幕府領となる。江戸初期には塩田が存在し、塩業が行われていたが、1629年(寛永6年)に塩浜が荒廃したことにより、塩浜の年貢が免除となった。以降は漁業及び稲作が中心の地域となり、一番土堤、二番土堤、三番土堤と称する堤防が築かれた。

浦安橋を江戸川区側から渡り、江戸川沿いに南下、境川沿いに進むと、清瀧神社、大蓮寺、宝城院がある。

写真1: 清瀧神社

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御祭神は海の神、大綿積神、創建については定かではないものの、建久四年(1196年)と伝えられている。

大蓮寺の脇に、久助稲荷がある。
大蓮寺第五代住職頓誉に学誉という弟子がいた。後に芝増上寺の宝主となり大僧相となった高僧である。ある時、頓誉が大蓮寺にいた時に仕えていた忠僕の久助が立っていた。久助は大蓮寺の稲荷が荒れ果ててしまった為、復興を頼んだ。頓誉は早速京都伏見稲荷から正一位の官位を受け、それに建設費を添えて大蓮寺に送ったが、久助は20年前に亡くなっていたという。頓誉は、稲荷の身代わりとなって現れた久助に感動し、久助稲荷と名付けたという。

写真2: 大蓮寺

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1544年(天文13年)に、小田原の大蓮寺の行脚僧・覺譽存榮上人が浦安に参り、当地にあった勢至菩薩像の小堂に参拝し、堂宇を建立し大蓮寺と名付け開創した。

写真3: 宝城院

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本山は大和の国長谷寺で、武蔵国小岩村善養寺の末寺。
本尊は不動明王(春日作)で建久7年(1196年)に醍醐山願行上人の開基。

清瀧神社の参道を東へ。明治2年建築の旧宇田川家住宅がある。

写真4: 旧宇田川家住宅

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暫く進むと正福寺がある。

写真5: 正福寺

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総本山は山梨県の身延山久遠寺で、中山の法華経寺の末寺として、文禄2年(1593年)に十乗院日詠律師により開山。

直ぐ隣に東学寺

写真6: 東学寺

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本山は長谷寺(昔は小岩の善養寺)、永禄年間(1558年〜1569年)に常誉法印の開基。

境川を渡り猫実に入る。直ぐ右に行くと花蔵院がある。

写真7: 花蔵院

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本山は和歌山県根来寺。昔は海照山花蔵院神宮寺と称していた。
本尊には、大日如来を安置。永仁元年8月25日(1293年)の大津波で堂宇、記録など流破し創建は確かではない。天正5年正月(1577年)当時中興の開基賢融和尚によって再興された。
境内には公訴貝猟願成の塔がある。天明2年1月から約7年に亘り船橋村と三番瀬の漁場をめぐり争われ、三人の村人が犠牲になった。その三人の冥福を祈りその業績を後世に伝えると共に公訴の勝利を記念すべく村人の浄財によって建立された。

隣に豊受神社

写真8: 豊受神社

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豊受神社は御祭神に豊受姫大神を祀る神社で、保元二年(1157年)の創建。現在の社殿は昭和四十九年につくられたもので、永仁元年8月25日(1293年)の大津波の後と嘉永3年(1850年)に、度重なる風水害のためにそれぞれ再建がなされている。

境内には現在末社として三峰神社、浅間神社、風の神と津島神社を祀る祠、金毘羅大権現の石祠、秋葉大権現の石祠がある。

境内には見事な大銀杏がある。秋が楽しみだ。

写真9: 豊受神社の大銀杏

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道を戻り、今度は境川の北岸(猫実側)を進むと、正徳5年(1715年)建立の庚申塔がある。

写真10: 猫実の庚申塔

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そのまま道なりに浦安駅方面に行く。これは行徳へと続く旧道だ。
やなぎ通りも駅も越えしばらく進むと当代島村に入り善福寺がある。

写真11: 善福寺

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元和5年(1619年)、田中十兵衛が堂宇を建立し、開山する。小岩善養寺の末寺。田中十兵衛は俗称を内匠(たくみ)十兵衛といい、狩野浄天と協力して真間から行徳を経て浦安当代島に至る延長約12キロの灌漑用水路を、幅3.6メートルで堀り、内匠堀も浄天堀とも言われ、この地方の農業開発に尽くした。

暫く進むと新井村に入ると、延命寺、新井寺、熊野神社がある。

写真12: 熊野神社

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写真13: 延命寺

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慶長元年(1596年)、真誉法印によって開基される。小岩善養寺の末。
境内に入って右隅に、首切り地蔵が祀られている。この地蔵は、生実の領主森川重正の家臣久三郎という武士が、正保元年(1644年)イネという女と駆け落ちし、今井の渡しで捕らえられ、刑場に埋められた。このふたりを弔うため、延命寺の住職が石地蔵をたてて霊を慰めた。だが、この地蔵は首と胴が別々に造られたもので、いつしか「首切り地蔵」と呼ばれるようになった。

写真14: 新井寺

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元和2年(1616年)創建。寺名の起源だが、この地域は海が目の前で日常生活に必要とする飲料水(真水)に乏しく 地元民は各所に鑿井(さくせい)するも真水には恵まれなかった。船橋本郷、寶成寺(ほうじょうじ)にいた能山和尚が、たまたま新井郷民のなげきを耳にし、これを救済せんと発願し、観世音菩薩に祈願をこめ、その霊告により部落に地を定め一井を掘ったところ、混混として真水湧出で、能山和尚の法力恩徳をたたえると共にこれに報いる為に一寺を建立し、能山和尚を迎えて開山とした。即ち新たに真水の井戸を得たところより地名を改め新井村と称し寺名もまた新井寺と名付けた。

暫く進むと今井街道に出て、浦安の元町地区は終わる。

以上
posted by Yogi at 20:15| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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