2010年06月05日

26.長島3

長島川を西へ。環七を過ぎ、葛西区民館を過ぎ、二股を左へ。東西線を潜り、暫く行き、突き当りを右折、旧海外線の都道450号に出るまでが旧の長島川だが、二股を左に行き東西線をくぐる手前で、新川の宇喜田橋から続く旧道、新田中町通りに出合う。そこを左折。出合って直ぐの所に、旧道を示す地蔵堂のようなものがある。

写真1: 地蔵堂

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そのまま進むと右手に稲荷神社がある。

写真2: 稲荷神社

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左手には香取神社と正應寺

写真3: 香取神社

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写真4: 正應寺

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環七を過ぎると直ぐ、玉崎稲荷がある。

写真5: 玉崎稲荷

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暫く行くと、八雲神社がある。

写真6: 八雲神社

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暫く行くと、中割天祖神社がある。

写真7: 中割天祖神社

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旧東宇喜田村の鎮守で、慶安2年(1649年)創建。

直ぐ先に昇覚寺がある。

写真8: 昇覚寺

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鐘楼は天明年間の建立

写真9: 昇覚寺 鐘楼

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暫く進むと突き当る。旧道は左に続く。突き当りを左折し都道450号に交差する所に、香取神社と雷不動がある。

写真10: 香取神社

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写真11: 雷不動

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天文年間(1532〜1544年)の創建と伝えられる古刹。葛西沖で時化にあった漁師が、この寺の松にいた龍の放つ光に助けられたことから波切り不動、その不動が大雷雨の時に雷を退治したということから雷不動と呼ばれている。境内には、元禄11年(1692年)建立の庚申塔、江戸川の新川口にあった文政元年(1818年)建立の雷不動石造道標がある。

写真12: 庚申塔

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写真13: 雷不動道標

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そのまま北上すると再び長島に戻る。浦安橋を浦安方面に向かい、妙見島に降りると、ここには、名の由来となった妙見神社がある。

写真14: 妙見神社

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妙見とはこの地を嘗て支配していた千葉氏の守護神、妙見菩薩のこと。妙見信仰は千葉氏が信仰していた日蓮宗とも密接に関わる。日蓮宗は中山法華経寺を中心に布教が行われていた。妙見堂の建立は千葉氏が葛西地区へ進出する足がかりだったという説もある。尚、初代の妙見堂は、東一之江村(現江戸川区一之江)の妙覚寺に移されている。妙見神社の創建は南北朝時代の貞治元年(1362年)と、古い。

妙見島は完全な工業地帯。ダンプがひっきりなしに走り、砂埃もひどい。妙見神社の帰りを急いでいたら、江戸川の道沿いに小さな祠。相当古そうだ。

写真15: 祠

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広重にも描かれている。

広重_利根川ばらばら松.jpg

旧道に戻り北上を続け、新川も過ぎ暫く行くと、右手に猿田彦神社がある。

写真16: 猿田彦神社

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鳥居も古い。

更に進むと熊野神社がある。

写真17: 熊野神社

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旧下今井村の鎮守、宝永年間(1704〜1711年)の創建とされ、「おくまんさま」の通称で、江戸川を行き来する船に親しまれていた。この神社の目の前の江戸川の水は「おくまんだし」と呼ばれ、徳川家の茶の湯に使われるほど綺麗だったそう。その他、野田の醤油に使われたり、本所、深川、大島辺りで買われていたとのこと。江戸時代にも水は買うものだったのか。

これで長島は終わる。
古くから栄えていたことを示すように、神社仏閣が多いし、道は旧道を示すように細くクネクネと曲がりくねっていた。道沿いには、旧家と思われる屋敷も多かった。

以上
posted by Yogi at 09:26| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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