2010年05月27日

24.長島

東葛西の北部に位置する長島村は、葛西地域の中で最も歴史が古い地区である。太日川、現在の江戸川の河口に位置し、中世には陸地化していたと言われている。

この地域は河川交通の要所であった。上流には下総国の国府や香取海があり、長島には長島湊(長島の津)があって多くの船が行き来した。平将門の乱は、この香取海が齎す経済的利益や軍事的優位を巡る争いとも言え、下流にあった長島村の重要性も高まっていった。長島村の第一期はこの時代といえる。

葛西三郎清重が永万元年(1165年)(あるいは建久年間の1190〜1199年)に領地33郷を伊勢神宮に寄進し成立した葛西御厨の時代には、葛西御厨と国府の外港の1つとして栄えた。

葛西三郎清重死没の暦仁元年(1238年)以降、伊勢神宮への御厨としての勢いが衰えたのか、南北朝時代の1372年(文中元年/応安5年)には、香取神宮の河関(灯油料所)が設けられた。

戦国時代には長島高城があったという説がある。清光寺がその跡と言われている。現在でも一帯は微高地になっている。

1559年(永禄2年)の長島は後北条氏の重臣、太田康資の領地の1つだった。近隣では数度に渡って国府台合戦が行われた。1563年(永禄6年)の第二次国府台合戦は、太田康資が里見氏に寝返った事が開戦の発端となった。この時、負傷した里見義弘を助けて落ち延びた1人が篠原伊予(安西氏)で、後に北小岩に伊予新田を開発した。子孫は長島村に移住し、名主の1人となった。

江戸時代には、南部の開発が進んだ。旧江戸川沿いに雷(いかずち)、新田仲町通り沿いに仲町などの集落が出来た。

長島村.JPG

明治初期の地図に、長島地区の史跡、旧道をmappingしてみた。
妙見島の西側の旧長島村地区、南に下って旧長島村飛地の中割地区以外は全て水田で、長島村が栄えていたことが分かる。

現在の地図


より大きな地図で 長島村 を表示

以上
posted by Yogi at 07:16| Comment(0) | 町・村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。