2010年04月03日

6.西井堀、仲井堀、東井堀、小岩用水の地図


より大きな地図で 西井堀・仲井堀・東井堀・小岩用水 を表示

今回走った西井堀、中井堀、東井堀、小岩用水は、この地図にあるように、水源を小合溜井、現在の水元公園とし、葛飾、現在の葛飾区、江戸川区を南下している。

この4つの用水は、それぞれ幾つもの分流を持っていて、昔の葛飾は、さながらベニスのようだったのではないかと思いを馳せる。

明治初期の地図に重ねるとこうなる。

WS000002.JPG

以上
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5.小岩用水

葛飾の用水跡、一先ずの区切りはこの小岩用水。

谷河内の少し北、新堀2丁目で東井堀から分岐している。
鹿骨街道との交差点は前沼橋。そこに、鹿見塚神社がある。

写真1: 鹿見塚神社

IMG_0170.JPG

既に氏寺として興福寺が710年に建立されていたが、更に春日に社を建てることにした藤原氏。常陸国で武神として崇拝されていた鹿島神宮から武甕槌命を迎えることにした。常陸国から奈良に向かう途中、お供した神鹿の一頭が倒れ、村人の懸命な手当てにも拘らず死んでしまった神鹿を葬ったのがこの鹿見塚。その後、768年に春日大社は建立されたので、塚が出来たのはその辺りの年代と思われる。この伝説は村人の間で細々と伝えられていて、ある日、塚を掘ってみたら、本当に鹿の骨が出てきたということで、鹿骨の地名の由来となる。

暫く北上し、南小岩に入ると、左手に中曽根天祖神社がある。創建年は不明。

写真2: 中曽根天祖神社

IMG_0171.JPG

暫く北上すると、元佐倉道と出合う。

古代官道を過ぎると、通りは鎌倉かなえ通りとなり、京成本線とぶつかるまで行くと、そこに、小岩用水の説明碑がある。

写真3: 小岩用水

IMG_0172.JPG

小岩用水は、徳川8代将軍吉宗の時代(1728年)に整備された、葛西50余村を潤す灌漑用水で、小合溜井(現在の水元公園)から流れる上下之割用水から、大堰枠で分岐し、先回走った西井堀、仲井堀、東井堀を分流している。

京成本線をそのまま渡れないので迂回し、再び、小岩用水跡へ。京成本線の向こう側に行くのだが、そこに、道標を兼ねた庚申塔がある。

写真4: 庚申塔

IMG_0176.JPG

左矢切渡し道、右江戸道奥戸渡しまで半道

と、彫られている。

暫く進むと佐倉道に出会う。こちらの佐倉道は後に出来た方。先程の元佐倉道の方が古い。

更に進み、旧水戸街道も過ぎると、大堰枠に出る。小岩用水はここで終わり(始点)。ここから小合溜井までは上下之割用水。

これで、西井堀、仲井堀、東井堀、小岩用水と、葛飾の大きな用水は全て制覇した。

以上
posted by Yogi at 19:20| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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