2010年03月29日

4.東井堀

今日は東井堀。

篠崎の前川神社がスタート。建て替えた様子で全てが新しく、写真は割愛。

親水緑道になっていて非常に綺麗で気持ちが良い。暫く進む。篠崎街道を過ぎ暫く進むと、南篠崎天祖神社がある。

写真1: 南篠崎天祖神社

IMG_0156.JPG

「天祖神社」ということで、この南篠崎天祖神社も、伊勢神宮の東葛西領上鎌田村の御厨として鎮座されたものだ。創建年は不明も、明治6年に社号を神明大神宮から天祖神社へと改称し、上鎌田村の村社に指定されている。

R14を過ぎ、谷河内も過ぎると鹿骨に入る。暫く行くと、享禄3年(1530年)に円海律師が中興開山した圓勝院がある。

写真2: 圓勝院

IMG_0159.JPG

ここ圓勝院は、吉宗鷹狩りの際休憩所になっていたという。

圓勝院を過ぎて直ぐ、西之橋という交差点に出る。川ではないのに「橋」。

鹿骨5丁目の交差点を右に。鹿島神社に寄る。

写真3: 鹿島神社

IMG_0160.JPG

葛西御厨のこの地域には珍しい鹿島神社。この鹿骨村鎮守鹿島神社の由緒だが、明治維新までは五社神明社とか五社神社とよばれていたのだが、これは鹿骨村の草分けとなった石井長勝、田島、中代、牧野、別系の石井姓の5氏が本村に住み着いた時にそれぞれが奉祀していた氏神を合祀したところからそう名付けたというものだ。創建年は不明も、社殿の改築は寛文6年(1666年)なのでその前ということになる。

暫く進み、元佐倉道との交差点が又「二枚橋」。これもこの道が用水跡の証拠。JR総武本線を過ぎ蔵前橋通り左手に旧上一色村鎮守の上一色天祖神社がある。

写真4: 上一色天祖神社

IMG_0162.JPG

創建年不明も、天保年間(1830-1843年)江戸に疫病が流行した時、病気退散のため盛大な裸祭りが行われていたという。

更に進むと奥戸街道との交差点が「東井堀」。この用水が東井堀と知る。前回が西井堀、中井堀で今回が東井堀。西、東とその間で中。この3本で1セットのよう。

暫く進み細田に入ると旧細田村鎮守の細田神社がある。

写真5: 細田神社

IMG_0164.JPG

細田村は天保年間(1644-47)隣接の曲金村(今の高砂)の新田であったが、元禄8年(1695年)検地の際に独立して村となったから、その頃の創立と云われている。

更に進み京成線の陸橋が見える辺りに旧曲金村鎮守の高砂天祖神社がある。創建年は不明。

写真6: 高砂天祖神社

IMG_0165.JPG

更に進むと佐倉道に出る。東井堀は小合溜井まで続くが今日はここまで。帰りは雨が降りそうだったので新中川沿いに最短距離を帰った。

以上
posted by Yogi at 01:12| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

3.中井堀

前回「西井堀」の続き。
西井堀が新中川にぶつかったところから新中川沿いに下ると旧奥戸新田村鎮守、1536年創建の八剱神社がある。

写真1: 八剣神社

IMG_0140.JPG

三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請した。地元三河で信仰を集めていた熱田神宮内の八剱宮にあやかって、ということだろう。八剱神社を過ぎ、奥戸街道を渡ると、善紹寺がある。善紹寺の斜向かいに昔からあるのだろう大きな家があるが、その敷地内に水神様が祀られている。

写真2: 水神様

IMG_0143.JPG

この中井掘は、通りの名前からそこが用水跡と分かったが、大きな家の敷地内に水神様が祀られているかどうかでも、その道が用水跡かどうかを判別できるから面白い。

蔵前橋通り、環七、JR総武本線を越え、元佐倉道との交差点、菅原橋に出る。川が無いのに「橋」。これも、用水跡を発見する方法だ。

菅原橋を越えしばらく行くと、旧西一之江村の鎮守大杉天祖神社がある。

写真3: 大杉天祖神社

IMG_0148.JPG

創建年月は明らかでないが、元禄10年(1697年)の検地には神明社と記されていることから、その前から鎮座していたことになる。将軍家康鷹狩の際は参詣の後、境内の東方にあった腰掛山という小高い所で、休憩されたと伝えられている。

大杉天祖神社を過ぎしばらく進み、R14を過ぎ、環七を少し経由すると、又中井掘に出合う。中井掘が新中川沿いを進むと慶安元年(1368年)8月15日、妙覚寺2世日典上人が勧請した妙覚寺別院第六天宮がある。この敷地内には、文政9年(1862年)建立の道標がある。

写真4: 第六天宮敷地内の道標

IMG_0152.JPG

第六天宮も過ぎしばらく行くと、元行徳道にぶつかる。前回写真を載せたあの元行徳道である。

写真5: 元行徳道

IMG_0155.JPG

実に真っ直ぐな道である。

以上
posted by Yogi at 17:42| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2.西井堀

前回「逆井の渡し〜西井堀」の続き。
逆井の渡しからR14の中川新橋交差点を越えて直ぐのところに庚申塚がある。

写真1: 庚申塚

IMG_0133.JPG

庚申塚から北東に伸びている道が西井堀跡だが、その前に、平井の旧道を少し進み、旧逆井村の鎮守である平井白髭神社(創建年不明)に寄る。

写真2: 平井白髭神社

IMG_0134.JPG

全国にある白髭神社は、滋賀県高島市鵜川にある近江国最古の神社、白鬚神社を本社とする。祭神は猿田彦大神。猿田彦大神は、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視されたということなのだが、もう一つ、面白い説がある。白髭神社は七世紀前後、大陸の先進的な技術をもたらした朝鮮半島からの渡来人が信仰した神とも言われている。新羅→白髭と転化したと。そう考えると、益々朝鮮半島の人々に親しみが湧く。

しばらく進むと、元行徳道と交差する。

写真3: 元行徳道

IMG_0135.JPG

この道を北西に進むと(今は途中で途切れてしまっているが)旧中川の平井の渡しに出る。平井の渡しで旧中川を渡り、旧中川沿いに少し下ると北十間川、北十間川を西に進むと大川橋(今の本書吾妻橋)で江戸に入る。南東に進むと行徳まで続く。「敵に塩を送る」のように、当時、塩は軍事的に重要なものだった。家康は行徳の塩を運ぶこの元行徳道を作った。

大正時代に作られた荒川と中川に分断された西井堀、平井大橋を渡りしばらく蔵前橋通りを行くと、平和橋通りとの交差点に出る。そこから北東に伸びているのが西井堀。しばらく行くと、正福寺と上小松天祖神社がある旧上小松村に着く。

写真4: 正福寺

IMG_0137.JPG

正福寺は山城国醍醐三宝院末で、旧門末八十余ヵ寺を持つ本寺格の古刹。江戸時代には10石の御朱印地、御膳所にも指定されていた。縁起によると、行基菩薩が東国強化の時、この地に留まり日夜阿弥陀仏を祈念した。のち一寺を建立し、みずから霊仏を彫って安置し、小松山金剛院正福寺と名付けたという。治承4年(1180年)源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、安房国に逃れて再起を図り、更にこの地に陣幕を張って援軍を待ったところ、葛西氏をはじめ、多くの豪族がこれに加わり、士気多いに振るったので、頼朝は深く当寺仏陀の加護によるものと信じ、後に平氏討滅を成し遂げたので、寺領50石を寄進したという。

写真5: 上小松天祖神社

IMG_0138.JPG

この辺りは、元葛西御厨。御厨(みくりや)とは、中世日本においては天皇家や伊勢神宮など、有力な神社の荘園(神領)を意味する。この上小松天祖神社は、葛西御厨時代に伊勢の皇大神宮を勧請し、旧上小松村の鎮守として奉祀したものと推定される。社伝では、寛文6年8月11日上小松村正福寺法印権大僧都永盛によって創立とある。

しばらく進むと1963年に完成した新中川にぶつかる。西井堀は水元公園の小合溜井まで続くが、今日はここで折り返し、中井掘を下ることにする。

今日はここまで。
次回は中井掘を進む。
posted by Yogi at 16:44| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。